人生入門

人生入門

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ASD

 「自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐ人たちのために」という本を読んだ。ざっくり論旨を説明すると、定型発達者には、生後9か月目に「革命」が起きる。著者は志向性という現象学の用語で説明しているが、要は他者からの「まなざし(視線が主な物だが、触覚などでもいい)」を受け、「φ」が形成される。
φというのは空集合、即ち無ということで、この「φ(無)」が「自己」となる。他者からのまなざしによって自己になるというのは分かりづらいかもしれないが、「自己」を感じるのは必ず他者が存在していなければならない。例えば、自分で一人立っていても何も感じないが、教壇に立ってクラスメイトに見つめられるときとか、殴られるとかすると一気に「自己」を意識することになる。
 一方、ASDの場合、他者からのまなざしを受け取ることができず、この「φ」が形成されない。そのために自己がない。

 自己がないために、自己と他者との区別がない。僕が一番面白いと思ったのは、ASD者は自己と世界との区別がないために、自己が終わると世界も終わると考えている、というところだ。僕はそう考えている。

 この「φ」がないために、自己にまとまりがない。よって世界をまとめることもできないし、世界と地続きのように生きるしかない。世界にのっぺりとくっついているため、「想像」の余地がない。だから相手に「心」があることも分からない。定型発達者は直観的に心を把握することができるが、ASDの人間は心を「推論」しながらコミュニケーションをとることになる。僕の生きてきた感覚では、ASDの人の中でもこの推論の「技術」が上手い人と下手な人がいて、下手な人はもうどうしようもないんじゃないかと思った。
 「φ=自己」がなく、自己と世界が地続きなので、世界の秩序が崩れることを恐れる。故に反復性や常同性といった特性が出てくる。

 僕には他者のまなざしがない。だから風呂にも入らないし、パジャマのままで散歩するし、シャツがはみ出たままで外に出る。

 「φ」がないので自己もばらばらだ。定型発達者も「ペルソナ」や「キャラ」を切り替えながら生きているが、この核となる「φ」がまとめているので、他人に全的に影響されたりすることはない。ASDは核がないので人に影響されやすい。

 面白い本だったので、ASD当事者や関係者の人にはぜひおススメします。ASD関係の本は4,5冊読んだけど一番面白かったです。

 

処女作完成!

 処女作が完成した。原稿用紙46枚の短編で、自分では全然納得いってないが、とにかく完成したので、新人賞に送った。前回賞をとったのは慶応大学を出てるらしく、インタビューには僕の知らない作家やカタカナのミュージシャンが死ぬほど並んでいた。
 僕は哲学書も死ぬほど読んだし宗教書も死ぬほど読んだし(多分2000冊ぐらい)その辺の大学生よりはよほどそのあたりの知識については自信があるが、それしかないともいえる。
 吉本隆明が、近代日本文学について語っている本で、「芥川龍之介は下町で生まれたんですよ、僕もです。下町に生まれた子供が文学をどうやるか、が芥川や僕たちの課題だった」というようなことを言っていた。下町に生まれるってのは、こち亀の世界観だろう。毎日缶蹴りをして、かくれんぼして、本なんかなんも読まない。僕も似たり寄ったりで、家にはヤクザの漫画とクローズとエロ本しかおいてないし、友達と毎日鬼ごっこやスマブラをしていた。
 インテリと呼ばれるような友達もいるが、彼らは一言で言って「育ちがいい」。雰囲気が違う。売春婦の友達や家庭崩壊している友達もいるが、全く別世界に住んでいる。

 僕はインテリが、嫌い。気取っているから。育ちがいい奴は嫌い。人間の本質はどうしようもない蛇蝎だと言ったのが親鸞であり、大無量寿経には「群生海」という言葉も出てくるが、これは薄汚くてずるくてどうしようもない奴らということで、下町の人間のほうが僕は人間の本質を生きていると思う。インテリの煩悩は、ただ複雑になっているだけだ。インテリっぽいツイートしかしない友達がいるんだけれど、僕がストレスで「ちんぽから下痢出てきた」とツイートするのも煩悩だし、インテリっぽい英語まじりのツイートも煩悩からだし、「東先生が審査員としていらっしゃるということで、フランス思想に詳しい人なら分かるであろう小説を書いて、送ってみた。もともと、何人か知り合いの医学者に送った書きかけの原稿を、推敲し直したもので、京大の名誉教授が才能として励ましてくれたのが大きかった。感謝。」とツイートするのも煩悩からだ。僕は気取り屋がどうしようもなく嫌いで、この世で一番嫌いなのは虚栄心である。自分のも含めて。
 法然や親鸞は(特に法然)は天台宗の超エリートだったが、自分のことを愚としている。僕は法然上人には一切の虚栄のようなふるまいはなかったのではないかと想像する。しかし親鸞は「名利に人師を好むなり」とも言っていて、自分の虚栄心を恥じている。誠実さの問題だ。誤魔化してはいけない。

雑駁な愚痴 書きなぐり

 ASDの長所とも短所ともいえるが、最近はもう創作、小説のことしか考えてない。毎日小説を1,5冊ほど読んで、昨日と今日で1万文字書いた。本当に病的で、この執着心がいいものなのか悪いものなのか分からない、多分諸刃の剣のようなもので、この病的な疲労感と引き換えに、文章力を手に入れているのだと思う。

 信仰について書く。人間は、全員、破滅に向かって生きている!クリスチャンの知り合いと話すのだが、「なんでみんな信仰せずに生きてられるのだろう?」と言っていた。僕もそう思う。ここでパスカルの答えを聞こう。
「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている」
 順序が真逆だ。人生はよく旅へ例えられる。ただ、その旅は破滅への旅なのだ。だからまず、絶壁の問題を解決してから、目の前のものごとに取り組まなければいけない。旅の終着点を安心なものにしてから、人生の煩瑣な物事に取り組む。それが正当な順序であって、でなければ、人生の些末な、金やら女やら権力やらに取り組んでいる間にすっかり旅は終わって、あとは絶壁に落ちることになる。順序が逆だ!声を大にして言いたい。順序が逆!

 疲れた。人間の自殺する理由は疲労でしかありえないと思っている。僕は頑張りすぎる癖がある。ベッドの上で、何十回も聞いた法話を聞くと、まるで赤子になったかのように、安らかな気持ちになる。比喩だと思うでしょう。比喩ではない。本当に赤子になる。全的に甘えることができる。全的に甘えるということが信仰だ。甘ったれのクソニート。結構。甘える。甘える。阿弥陀の乳はいくら吸ってもなくならない。ビバ!阿弥陀仏!間違えた。南無阿弥陀仏!

なぜ小説を書くのか

 親孝行がしたいとか賞が欲しいとかお金が欲しいとか楽しいとかそういう俗っぽい理由はあるにしても、別に小説を書く核がある。
 
 僕は19歳か20歳の頃に「せーので絶望しよっ」という小説を書いたのだが、それは主人公本意の物語であんまりおもしろいものじゃなかった。
 僕が書きたいものは危うくて常に怯えていてでも少し強がりでたまにはにかんで、それで一番大事なのが「曖昧」な二十歳の女だ。ストーリーなんかどうでもいい。
 それが僕の中で女のイデアで、それを書きたい。というか読みたい。結局どの文章を読んでも一番気に入るのは自分の文章なので、自分の「性癖」を書いてそれを「読みたい」。満足したい。
 僕は小説で一番重要なのはストーリーテリングではなくて、文体だと思う。いやストーリーが一番重要だという人が九割九分だと思うけれど、僕は文体が一番重要であると思う。そのためにたくさんの本を読んで毎日書き続けて研鑽しなければいけない。
 この世にはいない理想の女を創るために書く(壊せればなおいい)。まあ、俗っぽく言えば性癖を満たしたいだけなんだけれど

信仰と岩

閉じ込められた。スーパーから車で帰る最中のことだった。雨が、滔々と、滝のように降っていた。土砂崩れの災害警報が出ていたが、土砂崩れなんて、よけようと思ってよけれるものではない。僕たちは閉じ込められた。
岩のほうへ行き、誰かの肌を触るように、ゆっくり撫でる。ざらざらとしていて、気配だけでここを動く気はないと知らせているようだった。そこで、何度も試したことだが、ぬっと思いきり、肩で岩を押してみる。岩は、頑として動かないという意志を持った生き物のようだ。この岩は意志を持っている。まだ外は雨が降っているようで、岩の隙間から、雨水がしとしととこちら側へ侵入してくる。いつ救助隊が来るか分からないので、水を何かの容器に保管しようと思ったが、やめた。容器が見当たらなかった上に、雨水は、ちろちろと舌を出す蛇のようで、気味が悪かった。
「おうい、君も手伝ってくれよ」
と僕は佐伯に声をかけた。しかし佐伯は
「どうせ無駄だよ、私分かるもん、その石、生きてるから」と僕と全く同じ感想を言って、その場を動かなかった。
そうこうしているうちに、上のほうからも雨が滲みてきて、いよいよ生き物の胃の中にいるような気分になってきた。消化液が、ぽつり、ぽつり、と断続的に降ってくる。僕は大きく口を開けて、舌の上に雨水を置いた。なぜか、ねばついていて、まるで飲めたもんじゃなかった。
四日が経った。雨は止んだが、未だに救助が来る気配はない。岩の隙間から、太陽光がしみてきて、この場にはにつかわない、春を知らせるようだった。このまどろんだ雰囲気に、洗脳されてしまいそうだった。
「夏じゃなくてよかったね」
「そうね」と言って、佐伯は手すさびに精を出していた。そこらに散らばっている石を拾ってきて、大きいものから小さいものに順々に順々に乗せていって、塔を作っているようだった。塔は絶えずぐらぐらしていて、危うい。佐伯が小さい石を上に乗せるたびに、傾きが増して、いつ破局を向かえてもおかしくなかった。けれども塔は絶妙なバランスで、その危うさすら自らのうちに含んで、存在を露骨に主張していた。
「まるで賽の河原みたいだね」
「なにそれ?」
「夭折した子供が、三途の川の近くで、石を積んで遊ぶんだ、でもそれを鬼が壊して、また石を積み始めて、また鬼が壊して、それを永遠に繰り返すんだ。でもそうしているうちに地蔵菩薩という菩薩がやってきて、子供を救うんだ。」
「地蔵菩薩、早く来ないかなあ」と言って、佐伯はまた塔を作ることに夢中になり始めた。もう、砂の一歩手前みたいな石を一番上に乗せて、「完成!」と叫んだ。妖気があった。その塔の孕んでいる危うさに眼を向けるのがしんどくなってきて、僕は塔を蹴っ飛ばした。
「あは、Kくん鬼だ」と言って佐伯は笑った。
「この塔が完成したら、救助が来るって祈ってたのに、Kくんのせいで、私たちここで死ぬよ」と本気なのか冗談なのか分からないことを言って、佐伯はミネラルウォーターを飲んだ。
「いつ救助が来るのか分からないんだから、水は大事にしろよ」
「まだ二本ぐらいあるから大丈夫」
僕たちはここで死ぬんだろうか。そう思うと、佐伯が妙に艶めかしく見えてきた。本能というやつだろうか。僕は死に脅かされると、自らのクローンを大量にばら撒くイソギンチャクを思い出した。そのクローンは梅干しみたいで不気味だった。しかし僕にも生物としてその不気味な本能が備わっているのだ。佐伯の存在感が僕の中でどんどん膨らんでいく。佐伯の真っ白い太ももに、手を滑らせた。
「なに?」
「しない?」
「こんなときにするわけないでしょ、頭がおかしいんじゃないの」と言って、佐伯は僕の手をはたいた。
一週間が経った。食料が尽きた。人間は食料が尽きても数日間は持つというが、水も尽きてしまった。喉がひりついて、声を出すのも億劫だった。体を起こすのも、面倒くさく、僕はもうここで死ぬんだという諦観が僕の頭を占めていた。
「Kくん見て、咲いたよ」と言って佐伯は岩のわきにある花を指さした。確かにそこには、初日から何かの植物が屹立していた。こんな綺麗な花びらをつけるとは知らなかった。少し気力が湧いてきて、僕は昔ならった坐禅をした。それが一番体力をつかわない方法だと思ったのだ。僕は接心のように一日中坐禅をしていた。
閉じ込められてから十日後、強い光が見えた。初め、臨死体験かと思ったが、眼に強烈な痛みを感じた。
「おい、きみ大丈夫か」と救助隊の人が手を伸ばす。
佐伯と一緒に外へ出てみると、岩のわきに生えていた植物が、わあっと、歓声をあげるように咲いていた。
僕は信仰という言葉の意味が全てわかったような気がした。

援助交際日和

僕は、最初なにがおかしいのか分からなかった。欠けているものがある。何かが足りない。いつもと違う、漠然とした不安。なんだか間延びした空気。まるで人から表情がなくなっていくような感じ。あ、なんで気づかなかったんだろう。この女、声を出していない。不感症なのだろうか。しかしこの女とヤったのはもう両手では数えきれない。毎回つつがなくセックスは終わっていたはず。女の顔を見る。ゆっさゆっさと揺れていて、上手く視認できなかったが、放心状態のような表情をしている。何かを思い出すような、それとも、これから死にゆくような顔をして、舌がだらりとしていた。不快だった。もしかして白目をむいてるかもしれない。
「おい、君、大丈夫か」
「あ、すみません」
と言った途端に、また顔を作り、声を作り、空念仏するように喘いだ。声は出しているが、私にはもう艶めかしく思う事は不可能だった。まるで映画を見ているようだ。私は一旦、性器を抜いた。
 「君は、不感症なのか?」
「そうかもしれないです。生まれつきなんです。気にしないでください。」と言って、僕の性器を引っ張って挿入させようとする。 「ちょっと待ちなよ、僕は不感症の女に勃起しないよ。ずっと騙してたのか?」
「騙してるつもりはないんですけど、援交始めたての時、不感症の女に金は払えないって怒鳴られて、お金を払って貰えなかったことがあって。それでAVをたくさん見て勉強したんです。
「僕も不感症の女に金を出したくはないけどね」
まるで詐欺だ。こっちはホテル代別で、五万円も出しているのに。今までこの女に払った金額を総計すれば、その辺の軽自動車が買えるだろう。僕は少女を悪意を持って睨んだ。
「だって自分のおちんちんが気持ちよくなれればいいんでしょう?穴があればいいんでしょう?声なんてどうでもいいじゃないですか」
「どうでもよくない。雰囲気ぶち壊しだよ。お金払わなくていい?」
「入れたんだからお金はきちんと払ってください。そんなに私に感じて欲しいですか?」
「一人だけが気持ちよくなるならオナニーと同じだよ、感じるためのコツとかあるなら実践して欲しいね」
「じゃあ私のお腹を殴ってくれませんか?」
「なんで?」
「そしたら、イキます」
腹パンってやつか。いいだろう。僕は女子高生が程よい痛みを感じられるぐらいに加減して、殴った。女子高生は呻いているだけで、オーガズムには達しない。
「もっと強く殴ってください。ゲームセンターに、パンチ力を計測するゲームがあるでしょう?あれを殴るみたいに殴ってください」
女子高生を立たせて、肩ならしをする。僕はボクサーだぞと言わんばかりに無駄に腕を回して、全体重をかけて、殴った。
瞬間、僕は胸がすいた。体中にたまっていた毒素が全部気泡になって、破裂したみたいだった。将来に対するぼんやりとした不安などが、少女のお腹で鳴った「バチッ」という音とともに跡形もなく失せてしまった。一瞬の出来事だった。僕は、自分が大悟したのかと思った。
「゛ああ゛あ゛あ゛」と少女は蛙が潰れたような声を出して、イった。
「゛もうい゛っ゛かい」と言われたので、僕は図に乗ってもう一度、本当にボクサーになった気分でスパン!と殴った。
間違いなく大悟した。悟りを開いた。鬱積していたストレスが、軽い軽いものになって、体外へ出ていく。僕の身体自体も軽い軽いものになって、宙へ浮かびそうだった。頭の中のぐちゃぐちゃ、仕事とか家庭でのぐちゃぐちゃが、弾けた。殴った拳へ感じる反作用の痛みでさえ、弾けた。少女の腹は、臨済の「喝!」と同じだった。僕は大悟徹底し闊達自在の身になった。身体が全てほどけた。僕の身体はリボンで出来ていた。
「いぐ」と言って少女はイった。ぜえはあぜえはあと肩で息をしている。
「大丈夫?」
「大丈夫です。気持ちよかったです。ありがとうございました。口でするので、二万円だけ頂けませんか?」
「いや、その必要はないよ」
僕は射精していた。

家へ帰ると、妻が出迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
僕はずんずんと自室に、歩を進め、引きこもるように扉を閉めた。扉の外から「今日は肉じゃがですよー!」という声が聞こえた。
まだ先ほどの衝撃の残り香が残っていた。僕はサディストなんだろうか?それはないだろう。僕は至ってノーマルだ。人を痛めつける趣味はない。それにしても体が軽い。重力がなくなったみたいだ。しかも生まれたての赤ん坊のように、何も胸につかえるものがない。悩みも心配も不安も消え去っていた。肉じゃがができたようなので、軽い足取りで僕はリビングへ向かった。
「隣のお婆さんがね、子供の夜泣きがうるさいって今日わざわざ苦情言いに来たのよ」
また始まった。僕は胸が黒くなっていくのを感じた。以前、何かのポスターで、煙草を吸っていない人の肺と何十年か吸い続けた人の肺の比較画像を見たことがある。僕は今まさに煙草を吸っているのだと思った。
「それでね、でも向こうもお婆さんだから何も言い返せないじゃない?あなたから一言何か言ってくれない?子供が夜泣きするなんて当たりまえじゃない」
暗雲が立ち込める。僕は肺癌で死ぬだろう。
「ああ」と曖昧な返事をして、僕は適当にこの話を切り上げて、肉じゃがを急いでかきこんで、部屋を出た。

僕は興味が湧いたので、また少女に連絡を取った。援交に時間制限はないので、ゆっくり話を聞いてみようと思った。
「君はなんで不感症なの?」
「分からないです。オナニーでも何も感じません」
「名前はなんというの?」
「本名ですか?」と少女は嫌そうな顔をした。
「教えないなら、もう君のことは買わない。」
 と言って、僕は吸っていた煙草をじりじりと灰皿へ押し付けた。新しく火をつけて、ぱあ、と煙を吐いた。
「私、佐伯と言います」
「佐伯ちゃんね、なんでお腹を殴られるとイくの?」
「それも分からないです」
「分からないだらけだな」僕は困った。女子高生との共通の話題など何もない。
「なんで、援交してるの?」
「出口が、ないからです」
「出口?」
「はい、出口です」
唐突に出た出口という意味の分からない単語に僕はたじろいだ。他の女子高生に聞くと、大体「淋しいから」とか「お金が欲しいから」とか返ってくるのに、出口がない、とはなんだろう。
「逃避願望みたいな?」
「そうとも言えるかもしれません。私、少し変なんです。親は一人っ子だから優しいし、勉強も困ってないし、友達も多いとは言えないけど、いるんですが、私少し、変なんです。」
少女の口調は淡々としていて、まるで壁に話しかけているようだった。
「私、未来が見えるんです。」
「未来?エスパー?」
「エスパーかもしれないです。このまま、T大学へ行って、そこそこいいところ、例えば電通とかに就職して、合コンとかして、結婚するんです。それで、子供を作って、育てて、子供が育ったら、喜んで、老後は施設に入って、おとなしく一人で本を読んだりして、死ぬんです。」
「そんな甘くないよ人生。仕事一つとってもさ、僕もミスばかりだし、育児だって大変だよ、嫁の機嫌もとらなきゃいけないし」
「はい、そういうのも全部分かるんです。私、エスパーなんで」と言って佐伯は少し口角をあげた。この子が笑っているのは初めて見たかもしれない。
「それで?出口なしっていうのは?」
「私、死ぬんですよ、多分、六十年後とかに。勉強して、働いて、お兄さんの言ってたように、苦労も重ねて、死ぬんですよ。私は未来が見えるんです。」
「要するに君は敷かれたレールの上を走るのが嫌ってことか?やけにロックな女なんだね、君は」と言って僕は笑ったが、佐伯は笑わなかった。
「閉じ込められてるんです」
「どこに?」
「人生に」
 「誰に?」
「多分、神様とか」
思春期によくある逃避願望だと思った。ここではないどこか、というやつだ。
「旅行でも行く?お金は出すから」
「行かないです。どこにも行けないんです」
佐伯は頑なに僕の眼を見ない。どこか中空を見ている。
「また殴ってもいいかな」
「いいですよ、気のすむまで殴って。私、おまんこだけじゃなくて、全てに対して不感症なんですよ。これも生まれつきです。私、笑ったことがないんです。感情がないんです。何にも興味が持てなくて。いい子ちゃんを抜けたら何かあるかもしれないと思って援交を始めたんですけど、それも出口じゃありませんでした。でも、殴られているときだけは、どこかへ飛んでいる気がするんです。鈍い痛みが、お腹で爆発して、全身が熱くなって、頭が真っ白になるんです。そのあと不思議と、罪の意識を感じるんです。私はこれに持論を持っていて、罪というのは罰から引き出されるものなんです。殴られるという罰によって、私の命の奥にある罪が引っ張り出されるんです。私は罪人だ、って思うんです。その罪悪感だけが、私が人生で感じる感情なんです」
 「出口と罪と、何か関係があるの?」
「罪は猛烈に私を人生に引き付けるんです。だから入口と言えるかもしれませんね。出口がないというより、私は人生に入門してないだけなのかもしれないです。罪という鍵によって、人生に入門できる…。」
ぺらぺらと歯切れと活舌はよく、聞き取りやすいが、相変わらず誰に話しているのかよく分からない。多分僕のことなど眼中にないのだろう。僕は彼女が援交している男の内の一人でしかなく、全くどうでもいい存在なんだろう。僕だってこの女のことなんてどうでもいい。けれど、佐伯が他の男とセックスしているのを想像すると、むらむらと嫉妬の炎がわいてきた。僕は、嫉妬心に任せて、殴った。けれども以前のような、宙へ浮かぶ感覚は一切現れなかった。佐伯はおうっおうとアシカのような声を出してオーガズムに達していた。
 「お兄さんも出口が欲しいから奥さんがいるのに女子高生を買ってるんでしょう?でももう賞味期限切れですよ。殴っても出口は現れない。私たちは一生出口を探しながら旅をするんです。でもその出口もすぐ色あせてしまうんです。」

翌日、「女子高生、全裸で飛び降り自殺か」というニュースが目についた。僕はそれを直感的に佐伯だと思ったが、記事によると遺体の損壊が激しく身元不明とのことだった。どっちでもよかった。その夜、僕は妻と一緒に、菓子折りを持って、隣人の家へ詫びを入れに行った。

淋しさ

 最近は「淋しさ」ということについて考えている。孤独と言ったらかたすぎる。寂しいとも違う。「淋しい」ということについて考えている。
 孤独はごつごつしていて、哲学的なイメージだ。「僕は孤独だ…。」といえばキザな感じがする。「寂しい」は通俗的すぎて、この感情の的を得てない気がする。「淋しい」
 「淋しい」という漢字には、何か切なさといった趣も感じる。雨で濡れて、一人、家族も友達もいない、駅のプラットホームに立っている。
 
 最近、三日ほど家に人が来て遊んだのだが、この「淋しさ」はどこかへ吹き飛んでしまった。そして人が帰ると淋しさがまた幽霊のように心臓に憑りつく。それでも「淋しさ」にはなにかほのかな明るみといったようなイメージもあって、宗教的情緒を感じさせる。寂しいは、感情で、淋しい、は情緒だ。

 心臓に、濡れたタオルのように淋しさがしっとりとまとわりつく。そこには絶望はない。それは、夕立の日に見る一本の菊の花だ。

遊園地の日

 産まれてきたくなかった。いや、厳密に言えば産んで欲しくなかった。父になること、母になること。これがこの世における唯一の罪悪である。子供を産むことは、一種の賭け、ギャンブルである。しかもかなり分が悪いギャンブルである。なんせあのお釈迦さまがこの世は一切皆苦と言っているのだ。絶対に避けるできない苦が八つある。産まれることの苦。
老いていく苦。病気になる苦。死んでゆく苦。愛するものと別れなければならない苦。憎んでいる者と会わなければならない苦。求めているものが手に入らない苦。存在している苦。どれだけ金持ちの家に産まれようと、美男美女に産まれようと、これらの苦は免れない。他にも数えきれないほどの苦があるだろう。ブラック企業で働く苦。受験戦争の苦。犯罪にでくわす苦。なぜお母さんは僕をこんな世界に産んだのだろう。子供の頃、「社会に出たらもっとしんどいよ」と言われたことがある。じゃあなんで産んだのだろう。世間体とか、ペットが欲しいからだろうか。僕は生殖というのは親のエゴであると思う。
 毎日こんなことを考えながら起床する。ベッドの中で、「あー」とか「うー」とか言いながら、生殖の加害性を考えて、親への憎しみを沸々煮込む。なんで産んだ!なんで産んだ!と全身が悲鳴をあげている。なんで心臓は動くんだ、僕は苦しいんだ。憎しみ、憎しみ、憎しみ。加害者へ対する憎しみ。いっそのこと自殺してしまいたいが、死ぬのは恐怖でしかない。産まれることがなければ、死ぬこともなかった、という意味で親は僕の殺人者でもある。「産まれたから死ぬのだ」。じゃあ被害者の僕は親へ復讐する権利があるのではないか?殺してやりたい。僕に世界を与えた加害者を殺してやりたい。

僕は、障碍者として産まれた。自閉症スペクトラム障害だ。アスペルガー症候群という。この時点で、賭けに負けたと言ってもいい。僕は極度の人間嫌い、赤面症で、学校へ行くのが苦痛で仕方なかった。国語の時間の音読が苦痛で仕方なかった。余りにもコミュニケーションが苦手なので、部活で他校へ練習へ行ったとき、他校の先輩に「君、耳に障害があるの?」と言われたことがある。
必然、引きこもるようになる。僕は今二十五歳で、十六歳から引きこもっているから、引きこもり歴九年だ。生きる希望も何もない。
地元のコンビニで同級生に会うと、勿論「最近何してるの?」ときかれる。「何も」というと気まずい空気が流れて、相手はレジの方へ歩を進める。自閉症スペクトラム障害のせいで、偏食で野菜が食べられない上に、生活リズムが偏っていて、引きこもっているというストレスも加わり、うつ病になる。僕は九年間引きこもって職歴も学歴もない無職の精神障碍者だった。「誰が悪い?」ときかれると、真っ先にこう答えるだろう。「母親、あと父親」父親があのとき中出ししなければ、僕は存在しなかったのだ。無、だったのだ。無には苦痛がない。しかし、もう遅すぎる。それは一生手に入らない楽園だ。いや、未来にも無がある。僕は無と無の間に挟まれた苦痛でしかない。ならば最初から産まれなければいい。未来の無だけが僕の希望だ。
 うつ病のせいで、動くのも億劫で、PCの目の前に座るのがやっとだ。僕は今日もSNSを開いて、「反出生主義界隈」にログインする。今年は稀にみる猛暑だとテレビで言っているのに、部屋には扇風機しかない。今日は扇風機すら機能しない猛暑で、扇風機も、人を馬鹿にしたような熱気しか送って来ない。猫がトイレに糞をして部屋全体が糞の匂いに塗れていたが、動く気力がないのでそのままにする。窓を開ける気にもならない、薄暗い、暑い、クソの匂いのする部屋で、僕はインターネットで世界へ繋がる。「反出生主義界隈」は今日も盛り上がっていて、出生主義者を全員論破していた。僕たちのことをアンチナタリスト、出生主義者のことをナタリスト、という。ナタリストは自分が「間違いの末に産まれてきてしまった存在」だと認めるのが怖いのだ。子供を、「同意なく」この苦しみの世界へ産むのは明らかに犯罪的だ。なぜこんな簡単な論理が分からないのだろう?アンチナタリストの友人が、こう呟いていた。
「今日スーパーに行ったら、子連れが何人もいて、マジで可哀そうだった。ナタリストのエゴのせいでたくさんの被害者が産まれる」
僕はそれにいいね、をつけた。その呟きに対して、ナタリストが
 「あなた達って自分の厭世観を人に押し付けてて恥ずかしくないの?自分が産まれたくなかったってだけでなんでそれを人に押し付けるの?」と返信を送っていた。決して僕は人に厭世観を押し付けているわけではない。これは倫理の問題なのだ。出生が悪ならば、それを止めるべきだ。殺人が悪だから止めるべきなのと同じだ。ナタリストってなんでこんなに馬鹿なんだろう…。僕が恋人やセックスについての呟きをしていると、それにも噛みついてくる(僕はこの界隈では有名人なのだ)。アンチナタリストになぜ恋人がいてはいけないのだろう。僕たちは出生を否定しているだけで、「すでに産まれてしまった人」は幸福に生きるべきだと言っている。セックスも避妊すればいいだけじゃないか。本当に馬鹿だ…。愚かだ…。
そういえば、今日は恋人と一緒に遊園地へ行く日だった。けれども体が重い…。ドタキャンしようと思ったが、僕はデパスをいつもより多く、しかも酒で流し込んで、半分ラリったようなような状態になって、ようやく立ち上がることができた。デパスを酒で流し込むと、体に涼しい風が吹いてきて、先ほどと比べると、まるで筋斗雲にでも乗っているような気分になる。しかし頭は朦朧として、呂律は回らない。なぜこんな男に恋人がいるのか訝しむ人もおられるかもしれないから言っておくが、世の中には僕のような「母性をくすぐるタイプ」が好きな女性も多いのだ。ただ、それだけだ。

熱中症にうってつけの気温だった。まるで頭の上でも目玉焼きが作れそうだった。クロックスがコンクリートで溶けるかもしれない。汗が滝のように流れて、せっかく二週間振りに風呂へ入ったのに、台無しだ。
「ちょっと遅すぎない?もう三十分ぐらい待ったわよ。初めてのデートに遅れるなんて、最悪」初めて?と僕は思った。そういえば僕の家でだらだらすることは何度かあったが、デートは初めてだった。
「ごめんごめん、ちょっと準備に時間かかっちゃって」
「準備って何よ、女じゃないんだから」
「ほら、デパスが効いてくるのを待ったり、風呂で垢を落としたり、いろいろあるよ」
「昨日の夜も風呂に入らなかったの?さっきの風呂、何日ぶり?」
「二週間ぐらいかな」
「はあ?」と言って彼女は警察犬のように僕の体臭をかいだ。
 「ちょっとまだ臭いわよ、ホテルでもう一回洗ってね
「はーい」と僕は適当に答えた。
初めて来た遊園地だったが、原色ばっかりでどぎつい色をしていた。お世辞にもロマンチックとは言えない代物だった。子供用の遊園地なのだろうか?そういえば家族連れしかいない気がする。ということを考えている横で、じゃあ大人は千五百円ですねーという声が聞こえる。勿論財布など持ってきていない。
「最初は何のろっか?最初からジェットコースターでも行く?」
「ばかいえ。あんなの乗るやつはキチガイかマゾヒストだけだ」
「ふーん、怖いんだ」
「こわかないよ」
「じゃあ乗りな?」
「分かったよ、乗ればいいんだろ」
と言って、どぎつい赤と黒で塗られたジェットコースター乗り場へ歩いた。
「汗が凄いけど、やっぱり怖いの?」
「暑いからだよ!」
僕は恋人繋ぎにしていた手を離した。徐々に乗り場が近づいてくる。まだ乗ってもないのに、鼓動が速くなっている。ヤバいかもしれない。
彼女がチケット代を払って、二人で横になって座る。レバーが降りますので云々という声がしたが、もう何も聞こえなかった。
「佐伯」
「なーに?」
「愛してるよ」
「どうしたの急に?」
「さっき乗り場にネジが落ちていたんだ。僕たちはもう終わりだ。」
「大げさねえ」と言って佐伯は笑った。
ガタン!という大きな音がして、ジェットコースターは動き出した。ガタッガタッと言いながら徐々に上方へ向かっているのが分かる。僕が眼を瞑っているのに気づいた佐伯は「やっぱり怖いんだ」といって、挑発した。
「汗が眼に入っただけ!」と言って僕は目を開けた。信じられない光景が目の前に広がっていた。目の前には線路が全く見えなかった。つまり僕は頂上へいたのだ。ゴオオオという音とともに、一気にジェットコースターは線路を駆け降りる。耳では風を切る音がする。うわあああああと声を張り上げて、僕は絶叫した。なぜか戦争のイメージが頭に浮かんだ。そうだ、カミカゼだ。僕はこのまま敵艦へ特攻して死ぬんだ。佐伯は楽しそうにきゃあきゃあ言っている。僕たちはこれから死ぬのに。第二波がやってきた。僕はまたうわあああと絶叫して、佐伯に「Kくん凄い顔してるよ」と笑われてしまった。ジェットコースターが終わった後、僕は大地が動かないことをこれまでにないほど感謝した。
「Kくんって絶叫系ダメなんだ」
「駄目ってわけじゃないんだけどね…。今日は体調が悪くて」
「ふーん、体調が悪かったんだ、次は何に乗る?」
「コーヒーカップとかがいいなあ」
「じゃあ歩きながらさがそっか」と言って僕たちは歩き始めた。
家族連れの数が多い。
「可哀そうだ」と僕は思わず呟いた。
「え、誰が?」
「あの子供たち」
「またその話?怒るよ?Kくんがどんな思想信条を持ってたとしても私は何も言わないけど、それを私の前で口にするのだけはやめて。不愉快なの。」
「でも、実際産まれたら苦しいことばかりじゃないか」
「そうかもしれないけど、産まれなかったら、今日みたいにデートもできなかったよ?」
「そりゃそうだけど…。」と僕は言葉に詰まった。デパスが切れてきたので、追加で飲んだ。
コーヒーカップに乗っている間、僕は、自分の思想を点検していた。僕は間違っているのだろうか?確かに家族連れの客も僕も佐伯も、とても今この瞬間を楽しんでいる。しかしこの遊園地から出れば、またうつ病で苦しむ地獄が戻ってくるだけじゃないか。でも父さんが母さんの中で射精をしなければ、この優美な時間も存在しなかった。佐伯さんはどう思う?
「そうだねえ、思想とか難しいことは私分かんないけど、この命を"贈り物"として見る人と"呪われたもの"として見る人がいるだけなんじゃないかしら。自分がもしも親からとても美しい贈り物を貰っていると感じている人は、それを当然別の人にも渡したくなるよね。逆に鬱が酷い時のKくんみたいに、親に呪われたものを渡されたと思っている人は当然それを別の人に渡すのはやめるよね。それだけじゃないかな。私は贈り物だと思ってるよ。産まれてきてよかったと思ってるよ。Kくんに出会えたから」と言った。それから佐伯は照れ隠しをするようにコーヒーカップを思いきり回した。カップは思いきりぐるんぐるんと回って僕は吐き気がしてきた。酒を戻しそうだった。
「ちょっと、ギブ。」
「だらしないねえ」佐伯はいつも笑っている。
次どこ行くー?うーん、観覧車かな、一番上でキスしようよ。いいね、カップルっぽくて。
「さっきの続きなんだけどさ、僕、間違ってるのかな?」
「ううん、別に間違ってないと思うよ。命の感じ方の問題だと思うから。でもKくんは、いま、産まれてきてよかったと思わない?」
「今はそう思うよ、でも、家に帰って薬が切れたらまた産まれてきたくなかったって思うような気がする。」
「だから、正しいことなんてないんだって。あるのは感じ方だけ。Kくんは今は産まれてきてよかったって思ってるんだから、それでいいじゃない、うつ病が治ったら、きっとそう思うことが増えるよ。私ね、最近家で花を育ててるの。その花が成長するのを見るだけで、生きてて良かったなって思うよ。でもね、私ももしうつ病になったり、重い病気になったら産まれてきたくなかったって思っちゃうかもしれない。だから、感じ方の問題なのよ」と佐伯は言った。
象が歩くようにゆっくりと観覧車は上へ昇っていく。僕は鞄に忍ばせておいた酒を飲んだ。なぜだか佐伯がとてもいじらしく感じたのだ。てっぺんに昇って、キスをした。佐伯にKくん、お酒臭いと笑われた。佐伯は本当によく笑う。つられて僕も笑った。もしかして僕は産まれてきてよかったのかもしれない、と少し思った。けれどそう思うのは今までの自分を否定するみたいで、むずがゆく、不快だった。
日も落ち、遊園地を出て、ホテルへ行った。言いつけ通り、僕は念入りに体を洗って、ベッドへ向かった。
「Kくん、結婚しない?だってもう私たち二十五歳じゃんか、そろそろ焦らないとと思って」いきなり出た結婚という重い言葉に、僕はしどろもどろになった。
「もちろん今ってわけじゃないよ、口約束の婚約。」
「でも僕、稼ぎないよ。」
「私にあるから大丈夫。Kくんはほら、小説書いてるでしょ。私がパトロンになってあげる。」話が急すぎてついていけなかった。結婚…?
「まあそんな話はいっか。私もう観覧車でキスしたときから濡れてたのよ、速くしよ」
佐伯の性器に指をはわせる。佐伯の甘い吐息が聞こえる。性器の表面をかき混ぜるように撫でると、吐息はどんどん荒くなった。
「早く入れて?」と言って、佐伯はコンドームを僕の性器に装着した。佐伯に「あっち向いて」と言ってバックの体勢をとらせた。僕は、コンドームを性器から外して、佐伯と一つになった。

淋しさ

佐伯さんは「これが最後よ」と言ってキスをしてきた。佐伯さんにしては珍しく、舌を絡めてくる。僕はどうもこのディープキスというのが苦手だ。ナメクジの交尾の動画(ナメクジには性がないらしい)を思い出してしまう。ナメクジは、お互いにねじり鉢巻きのように絡み合って何かを交換する。僕はこの日もどうもその光景がチラついた。一通りキスが終わったあと(それは十秒だったかもしれないし五分だったかもしれない)僕は佐伯さんにナメクジの話をした。
「ナメクジってね、性別がないらしいよ」
「そうなんだ、Kくんって物知りねえ。性別がないなら便利だね、男とか女とか、窮屈だもの」と言いながら吸っている煙草で灰皿をトントンと叩いた。灰が落ちる音がした。佐伯さんは、今日も目の下にくまができていて、美人が台無しだ。もうずっと、睡眠薬も効かなくなったらしい。夏物のワンピースを着ているけれど、やはり華やかさがない。佐伯さんは、秋の女だ。蝉のような下品な女ではなく、鈴虫のような風流な女だ。僕はそう思う。
「寝れてないみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫なのかな、眠れないとね、嫌なことばっかり思い出すの。例えば、今日の夜はナメクジのことばっかり思い出すと思うわ。私ナメクジって駄目なの。塩をかけると溶けるって言って、男子が塩をかけたことあったでしょう?あれが可哀そうでね。」「Kくんのここもナメクジみたい」と言って僕の萎びた陰茎を舐めるように触ってきた。佐伯さんの細長い指の刺激が伝わってくる。僕はあっけなく勃起してしまったが、佐伯さんは何も言わず、僕の眼を見て、これでおしまい、と言った表情で笑った。
切ない空気が流れた。お互いの心臓の鼓動がシンクロしているみたいに、切なかった。僕はもう涙をせき止めているのが精いっぱいで、何も口がきけなかった。佐伯さんは吸ってもない煙草でとんとんと灰皿を叩いている。ふう、と僕がため息をつくと、佐伯さんも同意見だというようにふう、とため息をついいた。佐伯さんの少し血管が浮かび上がっている、手をとって、強く握った。友情や愛からではなく、淋しさからだった。
僕たちは何も言わずに、数時間ほど、阿呆になったように部屋でじっとしていた。僕はタイミングが分からなかったのだ。
なんの天啓も、合図もなく、僕は立った。佐伯さんは相変わらずどこを見ているのか分からないような眼をしている。僕は外に出て、父親から盗んできたゴルフクラブを部屋に持ち込んだ。沈黙が続く。佐伯さんの鼓動が、少し速くなったのが分かった。けれどもそれは合図ではない。僕はずっと淋しかった。ゴルフクラブは、テーブルの上へ置かれ、どことなく禍々しい雰囲気をまとっている。
僕は淋しさの臨界点を迎えたと思った。ゴルフクラブを手に取り、佐伯さんの脳天を思いきりカチ割った。心臓に絡みついていた淋しさが、するすると溶けていく音がした。佐伯さんは一撃で絶命し、それでも僕は佐伯さんの頭蓋を鉄の棒で殴り続けた。おびただしい量の血が出て、僕はそれを見て、救われた、と思った。佐伯さんの血は、一点の濁りもなく、絵具のような、純粋なヘモグロビンの色をしていた。脳みそが飛び散って、ナメクジのようなものが部屋に点在している。
僕は胸を締め付けていた、淋しさがするするとほどけるのを感じた。僕は一生ため息をつくことなどないだろう。僕は救われた。孤独でなくなった。僕は、輝くような、青春のような希望を感じた。

手紙

 残念なお知らせがあるんだ。ドイツへ留学している君へは直接言えないから、手紙という形になってしまうが、僕はどうやらスキルス胃癌という、悪性の腫瘍らしい。スキルス胃癌というのは僕もよく分からないんだが、悪性の内でも更に悪性らしいんだ。どうやら僕の病院嫌いがたたったようで、自業自得のような気もするけれど、それはそれとして、僕のこの字を見てくれ。字が震えているだろう。手が震えて上手く文字が書けないんだ。僕はどうやら、今、強度の怒りの中にいるらしい。第一志望へも受かって、これから人生が始まるという時に、死の宣告を、いや、まだ死ぬと決まったわけじゃないんだ。ステージは2で、転移はしていないらしい。けれど大学へ通うのは不可能だと医者に言われてしまったよ。胃の中にできた小さなイボのせいで、受験勉強もキャンパスライフも全部パーだ。お釈迦だ。僕は生きるよ、生きる。とりあえず今日は、病状の報告まで。君は僕の分まで勉強しておくれよ。

お返事頂きました。ドイツでの生活、なかなか苦労しているようですね。カルチャーショックが多いと書いていたけど、僕もなかなか病院のカルチャーに適応するのに苦労しているんだ。まず毎朝、看護師が採血だのなんだのしてくる。これがいけない。僕は血が苦手なんだ。君も僕が幼稚園児の頃、自分の血を見て卒倒したのを覚えているだろう。採血はいけない。頭がくらあっとして、まるで魂を吸われてるみたいなんだ。僕は基本的に眼を瞑って採血しているんだが、昨日、眼を開けてしまってね。僕の血は黒かったよ。真っ黒だ。腹黒いから血も黒いのかもしれないな。
しかも毎週、胃の中のイボが転移してないか検診があるんだ。ドイツにはこんなカルチャーはないだろう?しかもね、同室の人たちがちょっと癖があるんだ。みんな同じ病人だから、悪くは言いたくないが、特に、ちょうど隣のベッドにいるお爺さん。こいつは駄目だ。一日中独り言を言っていて、狂人かと思っていたんだが、なんとずっと念仏を言ってるんだ。なんまんだぶ、なんまんだぶ、だぜ。全く気味が悪いよ。縁起が悪い。他にも「同居人」には変な奴が多いんだが、それはまた別の機会にでも書くよ。昨日ちょうど検診だったんだが、癌は大きくも小さくもなっていないってさ。ドイツはビールが美味いんだろ。僕もまた君と酒でも飲みたいな。じゃあこの前の手紙にも書いたと思うけど、君は僕の分まで勉強頑張ってくれよ。

 お返事読みました。君にしてはやけに短い手紙だったね。やっぱり勉強で忙しいんだろうね。全く羨ましいよ。幼馴染の君には泣き言を言ってもいいだろうか。母親なんかはよく見舞いに来てくれるんだけどね、やっぱり肉親に弱みを見せるのは恥ずかしいんだ。こういうときに恋人でもいればいいんだけれど。
ずっと字が震えているだろう?自分の抱いているものが、恐怖なのか、怒りなのか、悲しみなのかすらも分からないんだ。ただずっと頭にあるのは「不条理」という言葉で、この言葉が頭の中からガンガン叩いてくるんだ。「何も悪いことしてないのに」という思いが頭をガンガン殴ってくるんだ。あるいは、僕は何か悪いことをしたのかもしれない。君は僕が小学生の時に万引きをしたのを覚えているか。どうもそのことが忘れられないんだよ。
悪には罰がくだるのかもしれない。でも君だって女癖の悪さは一級品だぜ。最近隣の念仏お爺さんと仲良くなったんだけれどね、仏教には因果の道理って言って、悪いことをしたものには苦しみが、善いことをしたものには楽が与えられるって教えられるらしい。君も女遊びはほどほどにしておかないと、僕みたいに胃にイボができちまうぞ。僕もどうやら弱気の虫がわいて迷信深くなってきたらしい。例の邪悪なイボは転移も増大もしてないそうだ。じゃあ、また返信くださいね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 君の日本語ひどいぜ。ドイツに言って日本語を忘れちまったんじゃないか?「ご冥福をお祈りします」って最後に書いてあったぜ。僕はまだ死んじゃいないぞ。ただ最近、ひどく虚無的になることが多いんだ。ほんとに死んでいるのかもしれない。テレビはイヤホンをつければ見れるんだけどね。最近はずっと白い天井を眺めている。そして、たまに腕を天井に向かって伸ばして、手のひらを見るんだ。自分が生きてるのを確認するためにね。実際僕はもう死んでいるのかもしれない。誰のためにもならない生って、意味があるんだろうか。僕はこの年になって初めて淋しいという言葉の本当の意味を知ったよ。若い男性が、女の尻を追っかけるでもなく、勉学に励むのでもなく、グレるのでもなく、念仏を称えるお爺さんの横で真っ白い天井を見ているんだ。それが淋しいという言葉の意味だ。僕はひどく淋しいんだ。嫌な言い方だが、君には分からないだろう。僕はひどく淋しいんだ。僕はまだ絶望しちゃいない。希望を持っているよ。けれど、僕はひどく淋しいんだ。この手紙を受け取っただけでいいから、日本の東京の○○病院にいる僕のために祈ってくれないか。どうも弱気になっていけない。来週は手術をするそうだ。祈ってくれ。祈ってくれ。イエスにでも阿弥陀にでもシヴァにでもいいから祈ってくれ。

 手術は無事終わりました。レントゲンで見えていた部分は取れたけれど、胃の中に転移していたらしい。けど他の臓器への転移はないから、まだ命は大丈夫だって言ってたよ。もしかしたら胃の全摘出をするかもしれないと言われた。まあ病気のことはいいんだ。医者に任せれば。だいぶ前の手紙で、「同居人」の話をすると言ったね。念仏お爺さん以外にも、同居人が二人いるんだ。まだ十六ぐらいの女の子と、アラサーに見える無口な男だ。気恥ずかしくて手紙には書いてなかったんだけれどね、この娘は僕に気があるかもしれない。僕が母親に病院食は不味い、肉だけは美味い、と言っていたのを聞いていたんだろうが、肉が出るたびに「私、お肉苦手なので食べてください」と言って肉をくれるんだ。本当に肉が嫌いなのかもしれないがね。女たらしの君は童貞の自意識過剰だと笑うかもしれない。実際にそうなのかもしれない。でも綺麗な子なんだ。少し影があってね、でも無邪気で可愛いんだ、基本的にはね。彼女も癌だそうだ。アラサーの男の方は、もっと何を考えているか分からない。サイコパスってこういう奴のことを言うんじゃないかと思うよ。急に夜中にみんなが寝静まっている中で「あいつらが全部悪いんだ」とか「殺してやる」とか叫ぶんだ。気持ち悪いだろう?僕はあまり関わらないことにしている。触らぬ神に祟りなしっていうだろう。

 今日の手紙は酷く短いものになるかもしれない。また字が震えているだろう。転移が見つかったんだ。

君、病院に電話をかけただろう。そういうことはよしてくれ。病院側は守秘義務があるから何も答えないよ。金輪際こういうことはやめてくれ。僕は怒っている。今回の手紙もこれまでだ。

 ドイツの暮らしぶりが眼に見えるような文章だったよ。僕が怒っているから君も長文で僕が楽しめるような手紙をよこしたのだろう。まるで小説みたいだったよ。ドイツ人の恋人ってのは可愛いのかい?今度写真でも同封してくれ。もう女遊びはするなよ。
 癌患者に言うお決まりのセリフがあるらしくてね、「今」を精いっぱい生きよう、ってのがあるんだ。僕はこいつが全く気に食わない。お前たちには未来がないって言ってるのと同じじゃないか。僕はまだ十九歳だぞ。今を生きるって言ったって、テレビを見るか真っ白い天井を眺めるかしかないんだ。生きるってなんだ?君はしっかり生きているように思う。好成績でドイツへ留学して、恋人も作って勉学に励んで、将来のために勤しんでいる。君は生きている。こう病室で何もやることがないとね、いろいろ考えるんだ。ただ心臓が動いていて呼吸をしているのは生きていると言わない。こういうのは植物的な生だ。そしてその上に動物的な生があって、そのまた上に君みたいに人間的な生があるんだ。僕は全く植物だ。人間と鉱物の間にあるんだ。いや、意識がはっきりしている分、植物より厄介な命かもしれない。僕は命をもてあましている。もう早く死んでしまいたいと思うことがあるよ。

病室内での会話が気になると手紙に書いていたね。実は僕は病室内では結構社交的でね、意外だろう?昨日の会話をできるだけ思い出して書いてみようか。
「お爺さん、そんなに絶えず念仏称えてて疲れないんですか」
「そら疲れるわ」
「たまには称えない日もあっていいんじゃないですか?」
「わしからこれとりあげたら、煩悩しか残らん。阿弥陀様に助けてもらうんだから、しっかりお礼せんといかん」
「念仏ってお礼だったんですか、僕も念仏称えれば極楽浄土へ行けますかね?」
「そりゃな、信心がないといかれん。」
「なんで阿弥陀様は僕を助けてくれないんですか」
「そりゃ阿弥陀様に出会わなきゃ、助けるも何もないでな」
かなり端折っているが、こういう神学問答をやった。僕は仏教というものに点で縁がないもんで、お爺さんの言ってることはさっぱり分からん。どうやら信じれば浄土へ行けるらしいが、もう老人しか信じていない迷信だろう。古い思想だ。僕らには関係ない。死んだら浄土で楽ができると信じれたらどれだけ幸福だろう!しかし僕が癌に強姦されて死んでも、そこは茫漠たる虚無なのだ。ああ、淋しい。
 例の少女との会話も再現してみようか。
「今日のワイドショー見ました?」
「音だけ聞いてたよ」
「まさかあの人が不倫するとは思いませんでしたね」
「不倫してから名前を知ったよ、俳優なのか?」
「最近結婚したばっかりのお笑い芸人ですよ」
「僕も不倫ぐらい、人生でやってみたかったなあ」
「不倫は駄目です!禁止です!」
例によって端折ったが、こんな感じだ。つまらん会話と思うだろう。実際つまらんよ。僕は早く退院して、君みたいに女と遊びたい。

 恐らく僕は死ぬだろう。君はいつも歯に何か挟まったような書き方をする。僕に遠慮しているんだろう。自分だけ悠々自適にドイツで過ごして、僕は病気でこんなんなんだから。僕に遠慮する必要はないよ。君が罪悪感を覚える必要は全くない。僕の運が悪かっただけさ。でもね、こうやってもう死を半分受け入れているような自分が嫌いなんだ。分かるだろう?僕は希望を棄てたくないんだ。生きたい。君の率直な意見が聞きたい。君の思想が聞きたい。

 返事読みました。忌憚のない意見をありがとう。僕のために毎日祈っているとのこと。最近は感情が鈍麻していますが、涙が出ました。
 君はどんな生にも価値があると断言した。死産した赤子にも価値があると断言した。これは決して僕への慰めではあるまい。君の思想というか、美学であろう。巷では、生産性のない人間は切り捨てるべき、という思想が流行っているが、君はそうではないのだね。僕は君がそういう人間だということを知っている。君は誰にでも祈る男だ。けれどそれは、生命というものへの信仰ではあるまいか。死ぬべき人間もいる、と断言する勇気が君には欠けているのではないかと思う。君はヒトラーの生命の価値を信仰できるか。僕にはできない。それは盲目というものだ。君は少しナイーヴすぎる。僕も、病人が病人であるだけで死ぬべきとは思わない。ただ、君の生命賛歌は幼稚なものだ。生命とはもともと殺し合って生きているものだろう。君は、無自覚な信仰者だ。盲目的に生命を信仰する阿呆だ。気を悪くさせてしまったらすまん。明日に手術が迫っていて、少しカリカリしているんだ。君が念仏を盲目的に信じるお爺さんと同じでないことを願うよ。

手術は可もなく不可もなくと言った感じで、僕はこれから抗がん剤治療をするかもしれない。
君は死すらも肯定するというのだね。極めて東洋的だ。君は悟りでも開いているのか。君は死が眼前に迫ってないからそういうことが言えるのだろうと僕は思うよ。君もいつか癌になったら分かるさ。震えて文字が書けなくなるさ。君が死を肯定すると安易に考えているのは正直癪に障る。僕には見えているものが、君には見えていない。死は絶対的な否定なんだ。全てを肯定することなんて不可能だ。君は挫折の経験がない。人間の心の暗い部分を知らない。君は昼のことはよく知っているが、夜のことは知らない。入院してから、眠れないことが増えたんだ。そういうとき、暗闇に身体が溶けるように感じるんだ。身体が溶け切ったあと、胃のイボだけがキュッと存在を主張するんだ。君の思想は、理想主義的で、浅いよ。けれどそれが君の長所なのかもしれない。僕はもう寝る。

サイコパスの奴、田代って言うんだけどね、ちょっとした事件を起こしたんだ。その日僕は病院の外にある池でも見ようと思って、外に出ようとしたんだが、田代に呼び止められてね、こう言うんだ
「念仏は好きか?」
僕はなんと答えていいか分からないから
「好きでも嫌いでもありません」
って言ったんだ。そうすると田代が女の子、この女の子もついでに名前を言っておくと佐藤というんだけど、佐藤さんにも同じことを聞くんだ
「念仏は好きか?」
佐藤さんはしどろもどろになって、けど何かを決意したようにこう言ったんだ。
「あんまり好きじゃないです。なんか死を連想するので」って。
「止めてやろうか?あの念仏機械」機械と言ったんだ、あのお爺さんのことを。ああ、お爺さんはこの時検診に行っててちょうどいなかったんだ。
「いえ、止めなくても大丈夫です」と震えた声で佐藤さんは言った。さぞ怖かっただろうに。眼も潤んでいたよ。普段何も喋らない年上の男に物騒なことを言われて。可愛そうな佐藤さん。
「俺はな、念仏が嫌いなんだ、いつも親が称えていたから。坊主の話も聞いたことがあるが、あれは子供騙しだね。ちゃんちゃらおかしいぜ。信じるだけで極楽浄土へ行けるんだとさ。全く子供だましだ。子供だましだ。俺はあの念仏機械がうるさくてしょうがない。親を思い出すんだ。俺の父親はね、俺の三歳の頃に蒸発したから俺は何も覚えちゃいない。ただ母親、俺はこの母親を軽蔑している。ずっと体を売って俺たちを養ってたんだ。片親にしては金を持ってるからそりゃクラスメイトも怪しむよな。そのせいで俺はイジメられたんだ。売春婦の子供だから。俺は売春婦の息子なんだ。母さんが売春なんかしたから、俺は癌になったんだ。親の因果が子に報いって言うだろう。ずっと俺は耐えてきたんだ。売春婦の息子であることを。俺には婚約相手がいたんだけれどね、そいつも過去に援助交際をしたって告白してきたから、すぐに棄ててやったよ。体を売った女は幸せになっちゃいけないんだ。体を売った女の息子も幸せになっちゃいけないんだ。だからこの年で癌になったときも何も驚かなかったね。むしろ清々しいよ。癌ってのは不幸の象徴だろ。みんなが腫物でも触るように憐憫のこもった眼でみてきてやがる。だけど俺はそれが心地いいんだ。俺は売春婦の息子なんだから。なんの話をしていたんだっけ。そうだ、念仏だ。母親は仏にすがることで、売春の罪悪感を消そうとしていたんだ。卑怯だとは思わないか。」
念仏のお爺さんが検診から帰って来なかったら、彼は癌で死ぬまで喋り続けていただろうね。彼は検診で息を切らして帰ってきたお爺さんにもこう聞いたんだ。
「念仏は好きか?」田代の眼は異常にぎらついていた。尋問するみたいだった。
「そうやねえ、念仏は、あんま好きじゃないなあ…。もう年やしねえ…」
驚いた。
「じゃあやめたらどうだ?」
「これはやめられん。助けてもろうたら、お礼を言うのが当たりまえじゃ」
「耳障りなんだ、俺はそのうち爺さんを殴っちまうかもしれないよ」
「そうなったら、その時やねえ…。」
田代はカッとなってお爺さんを殴ろうとしたんだ。僕が止めなかったらお爺さんは死んでしまっていたかもしれない。田代は僕のことを見て、舌打ちしてベッドの中に戻っていったよ。お爺さんはそれから少し念仏の数が減ってしまったが、やっぱり常に念仏をしているよ。僕はいつ田代がお爺さんを殴り飛ばすかを考えると恐ろしい気がするよ。じゃあ今日はこんなところで。
そういえばいつになったらドイツ人の恋人の写真を送ってくるんだ。返事待ってるよ。

君に言わなければならないことがある。実は僕の癌はステージ4なんだ。つまり末期がんだ。全身に転移している。もう絶対に助からない。それとね、僕はもう個室で療養しているんだ。言っている意味が分かるかな。つまり念仏のお爺さんも、田代も、佐藤さんも存在しないんだ。僕は君の中だけでも、希望のある青年でいたかった。君の中だけでも生きていたかったんだ。最初の手紙から、ずっと僕は嘘の報告をしていた。嘘の同居人の話をした。僕は生きたかったんだ。せめて、生き生き療養している姿を君に思って欲しかったんだ。全身に激痛が走って、これ以上はもう書けそうにないから、本当のことを書いたよ。もう僕は、二、三日の命だろう。この手紙がドイツにつく頃には、死んでいると思う。十九歳で志半ばで死んだ友達のために、少しでも祈ってくれ。さようなら。
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