淋しさ
佐伯さんは「これが最後よ」と言ってキスをしてきた。佐伯さんにしては珍しく、舌を絡めてくる。僕はどうもこのディープキスというのが苦手だ。ナメクジの交尾の動画(ナメクジには性がないらしい)を思い出してしまう。ナメクジは、お互いにねじり鉢巻きのように絡み合って何かを交換する。僕はこの日もどうもその光景がチラついた。一通りキスが終わったあと(それは十秒だったかもしれないし五分だったかもしれない)僕は佐伯さんにナメクジの話をした。
「ナメクジってね、性別がないらしいよ」
「そうなんだ、Kくんって物知りねえ。性別がないなら便利だね、男とか女とか、窮屈だもの」と言いながら吸っている煙草で灰皿をトントンと叩いた。灰が落ちる音がした。佐伯さんは、今日も目の下にくまができていて、美人が台無しだ。もうずっと、睡眠薬も効かなくなったらしい。夏物のワンピースを着ているけれど、やはり華やかさがない。佐伯さんは、秋の女だ。蝉のような下品な女ではなく、鈴虫のような風流な女だ。僕はそう思う。
「寝れてないみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫なのかな、眠れないとね、嫌なことばっかり思い出すの。例えば、今日の夜はナメクジのことばっかり思い出すと思うわ。私ナメクジって駄目なの。塩をかけると溶けるって言って、男子が塩をかけたことあったでしょう?あれが可哀そうでね。」「Kくんのここもナメクジみたい」と言って僕の萎びた陰茎を舐めるように触ってきた。佐伯さんの細長い指の刺激が伝わってくる。僕はあっけなく勃起してしまったが、佐伯さんは何も言わず、僕の眼を見て、これでおしまい、と言った表情で笑った。
切ない空気が流れた。お互いの心臓の鼓動がシンクロしているみたいに、切なかった。僕はもう涙をせき止めているのが精いっぱいで、何も口がきけなかった。佐伯さんは吸ってもない煙草でとんとんと灰皿を叩いている。ふう、と僕がため息をつくと、佐伯さんも同意見だというようにふう、とため息をついいた。佐伯さんの少し血管が浮かび上がっている、手をとって、強く握った。友情や愛からではなく、淋しさからだった。
僕たちは何も言わずに、数時間ほど、阿呆になったように部屋でじっとしていた。僕はタイミングが分からなかったのだ。
なんの天啓も、合図もなく、僕は立った。佐伯さんは相変わらずどこを見ているのか分からないような眼をしている。僕は外に出て、父親から盗んできたゴルフクラブを部屋に持ち込んだ。沈黙が続く。佐伯さんの鼓動が、少し速くなったのが分かった。けれどもそれは合図ではない。僕はずっと淋しかった。ゴルフクラブは、テーブルの上へ置かれ、どことなく禍々しい雰囲気をまとっている。
僕は淋しさの臨界点を迎えたと思った。ゴルフクラブを手に取り、佐伯さんの脳天を思いきりカチ割った。心臓に絡みついていた淋しさが、するすると溶けていく音がした。佐伯さんは一撃で絶命し、それでも僕は佐伯さんの頭蓋を鉄の棒で殴り続けた。おびただしい量の血が出て、僕はそれを見て、救われた、と思った。佐伯さんの血は、一点の濁りもなく、絵具のような、純粋なヘモグロビンの色をしていた。脳みそが飛び散って、ナメクジのようなものが部屋に点在している。
僕は胸を締め付けていた、淋しさがするするとほどけるのを感じた。僕は一生ため息をつくことなどないだろう。僕は救われた。孤独でなくなった。僕は、輝くような、青春のような希望を感じた。
「ナメクジってね、性別がないらしいよ」
「そうなんだ、Kくんって物知りねえ。性別がないなら便利だね、男とか女とか、窮屈だもの」と言いながら吸っている煙草で灰皿をトントンと叩いた。灰が落ちる音がした。佐伯さんは、今日も目の下にくまができていて、美人が台無しだ。もうずっと、睡眠薬も効かなくなったらしい。夏物のワンピースを着ているけれど、やはり華やかさがない。佐伯さんは、秋の女だ。蝉のような下品な女ではなく、鈴虫のような風流な女だ。僕はそう思う。
「寝れてないみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫なのかな、眠れないとね、嫌なことばっかり思い出すの。例えば、今日の夜はナメクジのことばっかり思い出すと思うわ。私ナメクジって駄目なの。塩をかけると溶けるって言って、男子が塩をかけたことあったでしょう?あれが可哀そうでね。」「Kくんのここもナメクジみたい」と言って僕の萎びた陰茎を舐めるように触ってきた。佐伯さんの細長い指の刺激が伝わってくる。僕はあっけなく勃起してしまったが、佐伯さんは何も言わず、僕の眼を見て、これでおしまい、と言った表情で笑った。
切ない空気が流れた。お互いの心臓の鼓動がシンクロしているみたいに、切なかった。僕はもう涙をせき止めているのが精いっぱいで、何も口がきけなかった。佐伯さんは吸ってもない煙草でとんとんと灰皿を叩いている。ふう、と僕がため息をつくと、佐伯さんも同意見だというようにふう、とため息をついいた。佐伯さんの少し血管が浮かび上がっている、手をとって、強く握った。友情や愛からではなく、淋しさからだった。
僕たちは何も言わずに、数時間ほど、阿呆になったように部屋でじっとしていた。僕はタイミングが分からなかったのだ。
なんの天啓も、合図もなく、僕は立った。佐伯さんは相変わらずどこを見ているのか分からないような眼をしている。僕は外に出て、父親から盗んできたゴルフクラブを部屋に持ち込んだ。沈黙が続く。佐伯さんの鼓動が、少し速くなったのが分かった。けれどもそれは合図ではない。僕はずっと淋しかった。ゴルフクラブは、テーブルの上へ置かれ、どことなく禍々しい雰囲気をまとっている。
僕は淋しさの臨界点を迎えたと思った。ゴルフクラブを手に取り、佐伯さんの脳天を思いきりカチ割った。心臓に絡みついていた淋しさが、するすると溶けていく音がした。佐伯さんは一撃で絶命し、それでも僕は佐伯さんの頭蓋を鉄の棒で殴り続けた。おびただしい量の血が出て、僕はそれを見て、救われた、と思った。佐伯さんの血は、一点の濁りもなく、絵具のような、純粋なヘモグロビンの色をしていた。脳みそが飛び散って、ナメクジのようなものが部屋に点在している。
僕は胸を締め付けていた、淋しさがするするとほどけるのを感じた。僕は一生ため息をつくことなどないだろう。僕は救われた。孤独でなくなった。僕は、輝くような、青春のような希望を感じた。
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