なぜ苦しいのに生きなければならないのか
なぜ苦しいのに生きねばならないのか、という問いは、僕はむしろ「苦しいのになぜか生きている」という神秘に置き換えたい。
誰が苦しいのかと問われれば「僕」が苦しいのだけれど「僕」というのは脳みその分泌物でしかない。胃の分泌物が胃液なのと同じだ。
脳みその分泌物は苦しんでいるが、心臓はひたすら鼓動を打っているし、胃は食べ物を消化しているし、肺は呼吸している。首から上がいくら「苦しい」という妄想をしていても、首から下は全力で生きたがっている。自殺は怖い。足が震える。頭がいくら死のうとしても、足は震える。
頭が死にたくても、首から下は、全力で「生」をしている。所詮僕は「いのち」の中に浮かんでいる錯覚に過ぎない。
苦しいのになぜか生きている
誰が苦しいのかと問われれば「僕」が苦しいのだけれど「僕」というのは脳みその分泌物でしかない。胃の分泌物が胃液なのと同じだ。
脳みその分泌物は苦しんでいるが、心臓はひたすら鼓動を打っているし、胃は食べ物を消化しているし、肺は呼吸している。首から上がいくら「苦しい」という妄想をしていても、首から下は全力で生きたがっている。自殺は怖い。足が震える。頭がいくら死のうとしても、足は震える。
頭が死にたくても、首から下は、全力で「生」をしている。所詮僕は「いのち」の中に浮かんでいる錯覚に過ぎない。
苦しいのになぜか生きている
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