仏教とは認知療法である | 人生入門

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丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

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再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

仏教とは認知療法である

 仏教と認知療法の相似性はよく指摘されるが、マインドフルネスが認知の歪みを治す、程度のものであまり本質から語られているものを見たことがない。

 人間は、生まれつき認知が歪んでいる。この歪みのことを常見という。死後も永遠に生き続けるという意味だが「自分も物も全て永遠である」という捉え方でいいと思う。いや、そんなこと思ってないよという人も多いだろうが、本当に自分が死ぬと思ってるだろうか?家族が死ぬと「心から」思っているだろうか?知識や教養は永遠だと思ってないだろうか?

 この「物には実体がある」という「認知の歪み」を推し進めたのが西洋哲学であるが、その結果人類は不幸になっている。「形あるものは壊れる」と「頭」では分かっている人が多いだろうが「心から」分かっている人はいない。
 「自己」も「恋人」も「金」も「地位」も全て「壊れる」のが「事実」なのだから、執着すれば、「必ず」裏切られて、苦しむ。この認知の歪みは生物学的なものだと思われるので、相当根深い。

 釈迦の説法を聞いただけで解脱した人々が説かれているが、これは本当だと思う。釈迦というカリスマが「この世は無常である」と断言し、納得し、理解したのだと思う。インドのスピリチュアルではこれを「ハート」から理解する、という。日本語で言うと「身」とか「臓腑」から理解すると言えると思う。つまり「無常だから物に執着すべきではない」ということを「臓腑」から理解できれば解脱できる。タイの高僧のプッタタート比丘は「呼吸と共に、執着すべきものはない、何者にもなる必要はない」と常に感じていれば煩悩が消滅して解脱できると言っているが、これは繰り返しによってハートに理解を染み込ませているのだと思う。
 インドのスピリチュアルにも、グルのトークだけで解脱させる伝統がある。瞑想も坐禅も必要なく、グルに明け渡し、「私は身体ではなく世界である」と臓腑から信じることで、解脱することができる。
 認知の歪みを矯正できる。

 けれど、末法に生まれた僕たちは、瞑想によって無常を観察したり、坐禅によって自我を消滅させるという「行」を行うことによってしか、認知の歪みを矯正することができない。

 人間は「有」と「無」という「ゼロヒャク思考」をしている。しかし事実は、中道である「空」である。有無といったゼロヒャクの認知の歪みを矯正し、全てを空と見る合理的な見方をすることが、救いである

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