信仰と岩 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

信仰と岩

閉じ込められた。スーパーから車で帰る最中のことだった。雨が、滔々と、滝のように降っていた。土砂崩れの災害警報が出ていたが、土砂崩れなんて、よけようと思ってよけれるものではない。僕たちは閉じ込められた。
岩のほうへ行き、誰かの肌を触るように、ゆっくり撫でる。ざらざらとしていて、気配だけでここを動く気はないと知らせているようだった。そこで、何度も試したことだが、ぬっと思いきり、肩で岩を押してみる。岩は、頑として動かないという意志を持った生き物のようだ。この岩は意志を持っている。まだ外は雨が降っているようで、岩の隙間から、雨水がしとしととこちら側へ侵入してくる。いつ救助隊が来るか分からないので、水を何かの容器に保管しようと思ったが、やめた。容器が見当たらなかった上に、雨水は、ちろちろと舌を出す蛇のようで、気味が悪かった。
「おうい、君も手伝ってくれよ」
と僕は佐伯に声をかけた。しかし佐伯は
「どうせ無駄だよ、私分かるもん、その石、生きてるから」と僕と全く同じ感想を言って、その場を動かなかった。
そうこうしているうちに、上のほうからも雨が滲みてきて、いよいよ生き物の胃の中にいるような気分になってきた。消化液が、ぽつり、ぽつり、と断続的に降ってくる。僕は大きく口を開けて、舌の上に雨水を置いた。なぜか、ねばついていて、まるで飲めたもんじゃなかった。
四日が経った。雨は止んだが、未だに救助が来る気配はない。岩の隙間から、太陽光がしみてきて、この場にはにつかわない、春を知らせるようだった。このまどろんだ雰囲気に、洗脳されてしまいそうだった。
「夏じゃなくてよかったね」
「そうね」と言って、佐伯は手すさびに精を出していた。そこらに散らばっている石を拾ってきて、大きいものから小さいものに順々に順々に乗せていって、塔を作っているようだった。塔は絶えずぐらぐらしていて、危うい。佐伯が小さい石を上に乗せるたびに、傾きが増して、いつ破局を向かえてもおかしくなかった。けれども塔は絶妙なバランスで、その危うさすら自らのうちに含んで、存在を露骨に主張していた。
「まるで賽の河原みたいだね」
「なにそれ?」
「夭折した子供が、三途の川の近くで、石を積んで遊ぶんだ、でもそれを鬼が壊して、また石を積み始めて、また鬼が壊して、それを永遠に繰り返すんだ。でもそうしているうちに地蔵菩薩という菩薩がやってきて、子供を救うんだ。」
「地蔵菩薩、早く来ないかなあ」と言って、佐伯はまた塔を作ることに夢中になり始めた。もう、砂の一歩手前みたいな石を一番上に乗せて、「完成!」と叫んだ。妖気があった。その塔の孕んでいる危うさに眼を向けるのがしんどくなってきて、僕は塔を蹴っ飛ばした。
「あは、Kくん鬼だ」と言って佐伯は笑った。
「この塔が完成したら、救助が来るって祈ってたのに、Kくんのせいで、私たちここで死ぬよ」と本気なのか冗談なのか分からないことを言って、佐伯はミネラルウォーターを飲んだ。
「いつ救助が来るのか分からないんだから、水は大事にしろよ」
「まだ二本ぐらいあるから大丈夫」
僕たちはここで死ぬんだろうか。そう思うと、佐伯が妙に艶めかしく見えてきた。本能というやつだろうか。僕は死に脅かされると、自らのクローンを大量にばら撒くイソギンチャクを思い出した。そのクローンは梅干しみたいで不気味だった。しかし僕にも生物としてその不気味な本能が備わっているのだ。佐伯の存在感が僕の中でどんどん膨らんでいく。佐伯の真っ白い太ももに、手を滑らせた。
「なに?」
「しない?」
「こんなときにするわけないでしょ、頭がおかしいんじゃないの」と言って、佐伯は僕の手をはたいた。
一週間が経った。食料が尽きた。人間は食料が尽きても数日間は持つというが、水も尽きてしまった。喉がひりついて、声を出すのも億劫だった。体を起こすのも、面倒くさく、僕はもうここで死ぬんだという諦観が僕の頭を占めていた。
「Kくん見て、咲いたよ」と言って佐伯は岩のわきにある花を指さした。確かにそこには、初日から何かの植物が屹立していた。こんな綺麗な花びらをつけるとは知らなかった。少し気力が湧いてきて、僕は昔ならった坐禅をした。それが一番体力をつかわない方法だと思ったのだ。僕は接心のように一日中坐禅をしていた。
閉じ込められてから十日後、強い光が見えた。初め、臨死体験かと思ったが、眼に強烈な痛みを感じた。
「おい、きみ大丈夫か」と救助隊の人が手を伸ばす。
佐伯と一緒に外へ出てみると、岩のわきに生えていた植物が、わあっと、歓声をあげるように咲いていた。
僕は信仰という言葉の意味が全てわかったような気がした。

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