信仰と岩
閉じ込められた。スーパーから車で帰る最中のことだった。雨が、滔々と、滝のように降っていた。土砂崩れの災害警報が出ていたが、土砂崩れなんて、よけようと思ってよけれるものではない。僕たちは閉じ込められた。
岩のほうへ行き、誰かの肌を触るように、ゆっくり撫でる。ざらざらとしていて、気配だけでここを動く気はないと知らせているようだった。そこで、何度も試したことだが、ぬっと思いきり、肩で岩を押してみる。岩は、頑として動かないという意志を持った生き物のようだ。この岩は意志を持っている。まだ外は雨が降っているようで、岩の隙間から、雨水がしとしととこちら側へ侵入してくる。いつ救助隊が来るか分からないので、水を何かの容器に保管しようと思ったが、やめた。容器が見当たらなかった上に、雨水は、ちろちろと舌を出す蛇のようで、気味が悪かった。
「おうい、君も手伝ってくれよ」
と僕は佐伯に声をかけた。しかし佐伯は
「どうせ無駄だよ、私分かるもん、その石、生きてるから」と僕と全く同じ感想を言って、その場を動かなかった。
そうこうしているうちに、上のほうからも雨が滲みてきて、いよいよ生き物の胃の中にいるような気分になってきた。消化液が、ぽつり、ぽつり、と断続的に降ってくる。僕は大きく口を開けて、舌の上に雨水を置いた。なぜか、ねばついていて、まるで飲めたもんじゃなかった。
四日が経った。雨は止んだが、未だに救助が来る気配はない。岩の隙間から、太陽光がしみてきて、この場にはにつかわない、春を知らせるようだった。このまどろんだ雰囲気に、洗脳されてしまいそうだった。
「夏じゃなくてよかったね」
「そうね」と言って、佐伯は手すさびに精を出していた。そこらに散らばっている石を拾ってきて、大きいものから小さいものに順々に順々に乗せていって、塔を作っているようだった。塔は絶えずぐらぐらしていて、危うい。佐伯が小さい石を上に乗せるたびに、傾きが増して、いつ破局を向かえてもおかしくなかった。けれども塔は絶妙なバランスで、その危うさすら自らのうちに含んで、存在を露骨に主張していた。
「まるで賽の河原みたいだね」
「なにそれ?」
「夭折した子供が、三途の川の近くで、石を積んで遊ぶんだ、でもそれを鬼が壊して、また石を積み始めて、また鬼が壊して、それを永遠に繰り返すんだ。でもそうしているうちに地蔵菩薩という菩薩がやってきて、子供を救うんだ。」
「地蔵菩薩、早く来ないかなあ」と言って、佐伯はまた塔を作ることに夢中になり始めた。もう、砂の一歩手前みたいな石を一番上に乗せて、「完成!」と叫んだ。妖気があった。その塔の孕んでいる危うさに眼を向けるのがしんどくなってきて、僕は塔を蹴っ飛ばした。
「あは、Kくん鬼だ」と言って佐伯は笑った。
「この塔が完成したら、救助が来るって祈ってたのに、Kくんのせいで、私たちここで死ぬよ」と本気なのか冗談なのか分からないことを言って、佐伯はミネラルウォーターを飲んだ。
「いつ救助が来るのか分からないんだから、水は大事にしろよ」
「まだ二本ぐらいあるから大丈夫」
僕たちはここで死ぬんだろうか。そう思うと、佐伯が妙に艶めかしく見えてきた。本能というやつだろうか。僕は死に脅かされると、自らのクローンを大量にばら撒くイソギンチャクを思い出した。そのクローンは梅干しみたいで不気味だった。しかし僕にも生物としてその不気味な本能が備わっているのだ。佐伯の存在感が僕の中でどんどん膨らんでいく。佐伯の真っ白い太ももに、手を滑らせた。
「なに?」
「しない?」
「こんなときにするわけないでしょ、頭がおかしいんじゃないの」と言って、佐伯は僕の手をはたいた。
一週間が経った。食料が尽きた。人間は食料が尽きても数日間は持つというが、水も尽きてしまった。喉がひりついて、声を出すのも億劫だった。体を起こすのも、面倒くさく、僕はもうここで死ぬんだという諦観が僕の頭を占めていた。
「Kくん見て、咲いたよ」と言って佐伯は岩のわきにある花を指さした。確かにそこには、初日から何かの植物が屹立していた。こんな綺麗な花びらをつけるとは知らなかった。少し気力が湧いてきて、僕は昔ならった坐禅をした。それが一番体力をつかわない方法だと思ったのだ。僕は接心のように一日中坐禅をしていた。
閉じ込められてから十日後、強い光が見えた。初め、臨死体験かと思ったが、眼に強烈な痛みを感じた。
「おい、きみ大丈夫か」と救助隊の人が手を伸ばす。
佐伯と一緒に外へ出てみると、岩のわきに生えていた植物が、わあっと、歓声をあげるように咲いていた。
僕は信仰という言葉の意味が全てわかったような気がした。
岩のほうへ行き、誰かの肌を触るように、ゆっくり撫でる。ざらざらとしていて、気配だけでここを動く気はないと知らせているようだった。そこで、何度も試したことだが、ぬっと思いきり、肩で岩を押してみる。岩は、頑として動かないという意志を持った生き物のようだ。この岩は意志を持っている。まだ外は雨が降っているようで、岩の隙間から、雨水がしとしととこちら側へ侵入してくる。いつ救助隊が来るか分からないので、水を何かの容器に保管しようと思ったが、やめた。容器が見当たらなかった上に、雨水は、ちろちろと舌を出す蛇のようで、気味が悪かった。
「おうい、君も手伝ってくれよ」
と僕は佐伯に声をかけた。しかし佐伯は
「どうせ無駄だよ、私分かるもん、その石、生きてるから」と僕と全く同じ感想を言って、その場を動かなかった。
そうこうしているうちに、上のほうからも雨が滲みてきて、いよいよ生き物の胃の中にいるような気分になってきた。消化液が、ぽつり、ぽつり、と断続的に降ってくる。僕は大きく口を開けて、舌の上に雨水を置いた。なぜか、ねばついていて、まるで飲めたもんじゃなかった。
四日が経った。雨は止んだが、未だに救助が来る気配はない。岩の隙間から、太陽光がしみてきて、この場にはにつかわない、春を知らせるようだった。このまどろんだ雰囲気に、洗脳されてしまいそうだった。
「夏じゃなくてよかったね」
「そうね」と言って、佐伯は手すさびに精を出していた。そこらに散らばっている石を拾ってきて、大きいものから小さいものに順々に順々に乗せていって、塔を作っているようだった。塔は絶えずぐらぐらしていて、危うい。佐伯が小さい石を上に乗せるたびに、傾きが増して、いつ破局を向かえてもおかしくなかった。けれども塔は絶妙なバランスで、その危うさすら自らのうちに含んで、存在を露骨に主張していた。
「まるで賽の河原みたいだね」
「なにそれ?」
「夭折した子供が、三途の川の近くで、石を積んで遊ぶんだ、でもそれを鬼が壊して、また石を積み始めて、また鬼が壊して、それを永遠に繰り返すんだ。でもそうしているうちに地蔵菩薩という菩薩がやってきて、子供を救うんだ。」
「地蔵菩薩、早く来ないかなあ」と言って、佐伯はまた塔を作ることに夢中になり始めた。もう、砂の一歩手前みたいな石を一番上に乗せて、「完成!」と叫んだ。妖気があった。その塔の孕んでいる危うさに眼を向けるのがしんどくなってきて、僕は塔を蹴っ飛ばした。
「あは、Kくん鬼だ」と言って佐伯は笑った。
「この塔が完成したら、救助が来るって祈ってたのに、Kくんのせいで、私たちここで死ぬよ」と本気なのか冗談なのか分からないことを言って、佐伯はミネラルウォーターを飲んだ。
「いつ救助が来るのか分からないんだから、水は大事にしろよ」
「まだ二本ぐらいあるから大丈夫」
僕たちはここで死ぬんだろうか。そう思うと、佐伯が妙に艶めかしく見えてきた。本能というやつだろうか。僕は死に脅かされると、自らのクローンを大量にばら撒くイソギンチャクを思い出した。そのクローンは梅干しみたいで不気味だった。しかし僕にも生物としてその不気味な本能が備わっているのだ。佐伯の存在感が僕の中でどんどん膨らんでいく。佐伯の真っ白い太ももに、手を滑らせた。
「なに?」
「しない?」
「こんなときにするわけないでしょ、頭がおかしいんじゃないの」と言って、佐伯は僕の手をはたいた。
一週間が経った。食料が尽きた。人間は食料が尽きても数日間は持つというが、水も尽きてしまった。喉がひりついて、声を出すのも億劫だった。体を起こすのも、面倒くさく、僕はもうここで死ぬんだという諦観が僕の頭を占めていた。
「Kくん見て、咲いたよ」と言って佐伯は岩のわきにある花を指さした。確かにそこには、初日から何かの植物が屹立していた。こんな綺麗な花びらをつけるとは知らなかった。少し気力が湧いてきて、僕は昔ならった坐禅をした。それが一番体力をつかわない方法だと思ったのだ。僕は接心のように一日中坐禅をしていた。
閉じ込められてから十日後、強い光が見えた。初め、臨死体験かと思ったが、眼に強烈な痛みを感じた。
「おい、きみ大丈夫か」と救助隊の人が手を伸ばす。
佐伯と一緒に外へ出てみると、岩のわきに生えていた植物が、わあっと、歓声をあげるように咲いていた。
僕は信仰という言葉の意味が全てわかったような気がした。
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