原口
眼前には一点も光を含まぬ大海が広がっている。死を連想させるその荒々しい黒さ。僕は今、やっと虚無と和解できたような気がする。こうやって、ぼうっと深夜の海の虚無と語らいながら、僕はいろいろなことを思い出した。僕は丸ごと虚無と化そうとしているのであるから、過去も清算せねばならぬ。この世に借金がある限り、死ぬことはできない。
僕は末っ子として産まれた。その時より僕の運命は決まっていたように思う。僕は赤子のときの記憶をはっきり持っている。お母さん、お母さんの乳ばかり吸っていた。僕が末っ子だったというのは本当に神様のいたずらだろう。僕はお母さんの胸で、百パーセントの愛と安心と曖昧さを味わいつくすことができた。兄たちの嫉視を、快感に換金して、僕は母親の胸を、全て食べつくした。僕はこの時代を幸福だとは呼びたくない。注釈付きでなら幸福と言ってもいいだろう。カギカッコつきの「幸福」だ。僕は甘やかされ過ぎたのだろう。一度も親から叱責を受けたことがない。僕はその時から嘘つきだった。腹も減ってないのに泣き出すことがよくあった。お母さんはまんまと騙されて、僕に、その豊満な乳房を差し出す。神人合一、子宮感情、口唇期固着、なんと言ってもいいが、僕は母親の甘すぎる愛の中で育った。全く甘すぎた。赤子に乳をあげている、銅像を見たことがある。その際、僕は、これは僕の幼児期を端的に表していると感じた。母親の乳房に噛みつきながら、親子でチョコレート塗れになっている僕たち…。僕が青年期になってから甘いものが苦手になったのも無理はない。
母親は僕が地獄へ堕ちないように、手で支えている。絶対的な安らぎ。安心感。僕の半生は、これらに反抗するためだけにあった
大学生活の話をしよう。僕には実際、この二つしか人生というものがないのだ。安心と虚無の間、チョコレートとナイフの間にあった期間は、僕にとって人生と呼べるものではなかった。中途半端で、生きる価値のない時間だった。
大学生になった僕は、詩を書くようになった。友人からも天性の詩人と言われ、僕は自分は詩を書くために生まれてきたのだと思った。僕はまだその頃安心と怯懦の中にいた。僕が「回心」したのは、先輩から聞いた、この言葉だった。
「君、ランボーこそ、男の中の男だよ」
僕の中で何かが弾けた。僕の心の中にあった、オアシスが全て枯れ、森が全て砂漠になってしまったようだった。頭が沸騰し、興奮し、あるいは勃起していたかもしれない。詩に回れ右をして立ち去ったランボー。僕は恥じた。己の虚栄心、怯懦、安逸を恥じた。パンパンに膨れ上がった風船ガムが割れる音がした。僕はこのとき割れたのだ。
「君、ランボーこそ、男の中の男だよ」
という言葉によって、僕の「幸福」はご破算になったのだ。「男の中の男」によって僕の「幸福」に生えている木々は斧によって全てなぎ倒され、花畑は荒らされ、僕の精神は赤茶けたものになってしまった。砂漠。母親から貰った母乳は全て枯れてしまった。僕はもうこの時、死を決めたと言ってもいい。この時から、僕の公理は「純潔」であり、人生に回れ右をして立ち去ることだったのだから。
脳内のレコードを蓄音機に入れてみる。橋本とカフェで議論をしたときのことだ。
「君、君、僕が言っているのは思想ではないんだよ、もう現代に思想というものは死んでいるんだ。ただ、政治があるだけなんだ。だから自己主張をしようとするものは、政治力を持たねばならない。現代はソフィストの時代なんだ。そして僕は、ソフィスト中のソフィストと言ってもいいだろうね。自分の言っていることすら信じていないのだから。ただ、明確な敵は存在する。それは虚無、そして安心と幸福だ。それは分かるね、分かるね。そして思想で武装することはできないんだ。僕はもう自分の肌の感覚しか信じることしかできないんだ。」
「けれどもそれはニーチェ主義じゃないのかい。無思想といった思想という意味では原始仏教とも似ている。君は思想を持っているよ。主義すら持っている。無主義という主義をね」
「君、その言葉すら反転できるのだよ、僕は。俺は無主義主義だ!と叫ぶこともできるし、主義なんて言葉の綾だと言うこともできる。思想とは、表現なんだ。そして表現は無限にあるんだ。表現の可能性だけ、思想がある。ということはとある思想イコール表現の、全く逆さまの思想イコール表現も当然ありうるということになるね。そしてね、僕が肌の感覚と言ったのは身体的な意味ではないんだ。これは僕の発明した言葉なんだけれど、僕には「精神の肉体」がある。こいつはいつも眼をギョロギョロさせて、獲物を見つけようとしている。ある思想があると、そいつをトッ捕まえて、「批評」をしてしまうんだ、そいつは。そしてその思想をこねて団子にすることもできるし、反転させて爆殺することもできる。分かるね、つまりね、僕の精神の王座には「精神の肉体」が鎮座していて、全ての主義主張を冷笑することもできるし、さも着こなすこともできるし、自由自在なんだ。そしてね、僕は自殺すると言っただろう?それはこの精神の肉体を殺すためなんだ。だってね、卑怯じゃないか?自分は何もせずに座っているだけ、そして他者を、言葉を、思想を、冷笑して、着こなして、飽きたら捨てて、こねて、バラバラにして、煮込んで…。卑怯だ!僕は誠実に生きたいんだ。そのためには死も辞さない。生命より誠実さのほうが僕にとっては重要なんだ。これは思想じゃない。「徳」の話だ。」
「君は少し、青年特有の自意識過剰に陥っているんじゃないかと僕は思うよ。その、精神の肉体?だっけ?それが自由自在で卑怯だというのも、君がまだ、青年で、確固としたアイデンティティを確立していないからだと思うんだ。君は大学で教養をつけ、社会へ出ていくだろう。そして君はなんらかの役割を押し付けられる。精神の肉体は、その役割を着るまでは自由自在だが、一度家族でも持ってみなよ、君は精神の肉体ではなく、父親だぜ。」
「そうじゃないんだ、そうじゃない。否定してばかりで申し訳ないが、そうじゃないんだ。自意識は、必然性と妥協しないんだ。そしてそれが僕の唯一の行動原理なんだ。荘厳な場所、例えば葬式で卑猥な言葉を絶叫すること、これが自意識なんだ。精神の肉体なんだ。僕は今から、全裸になって、カフェの中でオナニーをすることもできる。」
「じゃあしてみろよ、できないじゃないか。それが必然性に妥協しているということだよ」
「いいだろう、してやる。」
と言って、僕はジャンパーを脱いだ。その時点では橋本はまだハッタリだと思っていたらしい。上着を脱いで、下着を脱いで、上裸になった。そしてズボンを脱いで、パンツ一丁になったところで、橋本が止めに入った。
「君は少し頭がおかしいんじゃないか?失恋でもしたのか?荒れすぎだよ」
「言っただろう、僕はいずれ死ぬ男だ」
海が風にさらわれる音がする。精神の肉体は自分で自分を持ち上げられないのだ。自分の眼を自分で見ることはできないのだ。他者だけを裁き、己については盲目というのは、端的に卑怯だ。そしてそれは人間の根本構造なんだ。キリスト教ではそれを原罪と言い、仏教では無明という。しかし僕に救済はない。救済というのは、他者に己を許してもらうことだ。それは他人が自己に介入することを許容することだ。僕は許容を憎む。なぜなら許容は許容を生むからだ。
海は、青くても黒くても、お母さんの乳房を思い出させる。僕はいずれ死ぬ男だ…。
誠実さ、誠実さの切っ先が僕の心臓に向かう。僕は生きすぎた。僕はもう自分を誠実であったとも言うまい。
沈黙の国に旅立つ前に、深く謝罪しよう。
「僕は最後まで誠実ではなかった」と。
僕は末っ子として産まれた。その時より僕の運命は決まっていたように思う。僕は赤子のときの記憶をはっきり持っている。お母さん、お母さんの乳ばかり吸っていた。僕が末っ子だったというのは本当に神様のいたずらだろう。僕はお母さんの胸で、百パーセントの愛と安心と曖昧さを味わいつくすことができた。兄たちの嫉視を、快感に換金して、僕は母親の胸を、全て食べつくした。僕はこの時代を幸福だとは呼びたくない。注釈付きでなら幸福と言ってもいいだろう。カギカッコつきの「幸福」だ。僕は甘やかされ過ぎたのだろう。一度も親から叱責を受けたことがない。僕はその時から嘘つきだった。腹も減ってないのに泣き出すことがよくあった。お母さんはまんまと騙されて、僕に、その豊満な乳房を差し出す。神人合一、子宮感情、口唇期固着、なんと言ってもいいが、僕は母親の甘すぎる愛の中で育った。全く甘すぎた。赤子に乳をあげている、銅像を見たことがある。その際、僕は、これは僕の幼児期を端的に表していると感じた。母親の乳房に噛みつきながら、親子でチョコレート塗れになっている僕たち…。僕が青年期になってから甘いものが苦手になったのも無理はない。
母親は僕が地獄へ堕ちないように、手で支えている。絶対的な安らぎ。安心感。僕の半生は、これらに反抗するためだけにあった
大学生活の話をしよう。僕には実際、この二つしか人生というものがないのだ。安心と虚無の間、チョコレートとナイフの間にあった期間は、僕にとって人生と呼べるものではなかった。中途半端で、生きる価値のない時間だった。
大学生になった僕は、詩を書くようになった。友人からも天性の詩人と言われ、僕は自分は詩を書くために生まれてきたのだと思った。僕はまだその頃安心と怯懦の中にいた。僕が「回心」したのは、先輩から聞いた、この言葉だった。
「君、ランボーこそ、男の中の男だよ」
僕の中で何かが弾けた。僕の心の中にあった、オアシスが全て枯れ、森が全て砂漠になってしまったようだった。頭が沸騰し、興奮し、あるいは勃起していたかもしれない。詩に回れ右をして立ち去ったランボー。僕は恥じた。己の虚栄心、怯懦、安逸を恥じた。パンパンに膨れ上がった風船ガムが割れる音がした。僕はこのとき割れたのだ。
「君、ランボーこそ、男の中の男だよ」
という言葉によって、僕の「幸福」はご破算になったのだ。「男の中の男」によって僕の「幸福」に生えている木々は斧によって全てなぎ倒され、花畑は荒らされ、僕の精神は赤茶けたものになってしまった。砂漠。母親から貰った母乳は全て枯れてしまった。僕はもうこの時、死を決めたと言ってもいい。この時から、僕の公理は「純潔」であり、人生に回れ右をして立ち去ることだったのだから。
脳内のレコードを蓄音機に入れてみる。橋本とカフェで議論をしたときのことだ。
「君、君、僕が言っているのは思想ではないんだよ、もう現代に思想というものは死んでいるんだ。ただ、政治があるだけなんだ。だから自己主張をしようとするものは、政治力を持たねばならない。現代はソフィストの時代なんだ。そして僕は、ソフィスト中のソフィストと言ってもいいだろうね。自分の言っていることすら信じていないのだから。ただ、明確な敵は存在する。それは虚無、そして安心と幸福だ。それは分かるね、分かるね。そして思想で武装することはできないんだ。僕はもう自分の肌の感覚しか信じることしかできないんだ。」
「けれどもそれはニーチェ主義じゃないのかい。無思想といった思想という意味では原始仏教とも似ている。君は思想を持っているよ。主義すら持っている。無主義という主義をね」
「君、その言葉すら反転できるのだよ、僕は。俺は無主義主義だ!と叫ぶこともできるし、主義なんて言葉の綾だと言うこともできる。思想とは、表現なんだ。そして表現は無限にあるんだ。表現の可能性だけ、思想がある。ということはとある思想イコール表現の、全く逆さまの思想イコール表現も当然ありうるということになるね。そしてね、僕が肌の感覚と言ったのは身体的な意味ではないんだ。これは僕の発明した言葉なんだけれど、僕には「精神の肉体」がある。こいつはいつも眼をギョロギョロさせて、獲物を見つけようとしている。ある思想があると、そいつをトッ捕まえて、「批評」をしてしまうんだ、そいつは。そしてその思想をこねて団子にすることもできるし、反転させて爆殺することもできる。分かるね、つまりね、僕の精神の王座には「精神の肉体」が鎮座していて、全ての主義主張を冷笑することもできるし、さも着こなすこともできるし、自由自在なんだ。そしてね、僕は自殺すると言っただろう?それはこの精神の肉体を殺すためなんだ。だってね、卑怯じゃないか?自分は何もせずに座っているだけ、そして他者を、言葉を、思想を、冷笑して、着こなして、飽きたら捨てて、こねて、バラバラにして、煮込んで…。卑怯だ!僕は誠実に生きたいんだ。そのためには死も辞さない。生命より誠実さのほうが僕にとっては重要なんだ。これは思想じゃない。「徳」の話だ。」
「君は少し、青年特有の自意識過剰に陥っているんじゃないかと僕は思うよ。その、精神の肉体?だっけ?それが自由自在で卑怯だというのも、君がまだ、青年で、確固としたアイデンティティを確立していないからだと思うんだ。君は大学で教養をつけ、社会へ出ていくだろう。そして君はなんらかの役割を押し付けられる。精神の肉体は、その役割を着るまでは自由自在だが、一度家族でも持ってみなよ、君は精神の肉体ではなく、父親だぜ。」
「そうじゃないんだ、そうじゃない。否定してばかりで申し訳ないが、そうじゃないんだ。自意識は、必然性と妥協しないんだ。そしてそれが僕の唯一の行動原理なんだ。荘厳な場所、例えば葬式で卑猥な言葉を絶叫すること、これが自意識なんだ。精神の肉体なんだ。僕は今から、全裸になって、カフェの中でオナニーをすることもできる。」
「じゃあしてみろよ、できないじゃないか。それが必然性に妥協しているということだよ」
「いいだろう、してやる。」
と言って、僕はジャンパーを脱いだ。その時点では橋本はまだハッタリだと思っていたらしい。上着を脱いで、下着を脱いで、上裸になった。そしてズボンを脱いで、パンツ一丁になったところで、橋本が止めに入った。
「君は少し頭がおかしいんじゃないか?失恋でもしたのか?荒れすぎだよ」
「言っただろう、僕はいずれ死ぬ男だ」
海が風にさらわれる音がする。精神の肉体は自分で自分を持ち上げられないのだ。自分の眼を自分で見ることはできないのだ。他者だけを裁き、己については盲目というのは、端的に卑怯だ。そしてそれは人間の根本構造なんだ。キリスト教ではそれを原罪と言い、仏教では無明という。しかし僕に救済はない。救済というのは、他者に己を許してもらうことだ。それは他人が自己に介入することを許容することだ。僕は許容を憎む。なぜなら許容は許容を生むからだ。
海は、青くても黒くても、お母さんの乳房を思い出させる。僕はいずれ死ぬ男だ…。
誠実さ、誠実さの切っ先が僕の心臓に向かう。僕は生きすぎた。僕はもう自分を誠実であったとも言うまい。
沈黙の国に旅立つ前に、深く謝罪しよう。
「僕は最後まで誠実ではなかった」と。