スタッフロールは流れない
スーパーファミコンの名作、スーパードンキーコングのラスボス、キングクルールは姑息な手段を使ってくる。体力が減ると、死んだふりをして、偽物のスタッフロールが流れる。こちらが油断していると、また復活して主人公のドンキーコングを攻撃してくる。
僕の一番古い母親の記憶は、眼鏡の奥で怒りを燃やしながら、僕を椅子に座らせようとしている記憶だ。なんでも、幼稚園に行くまでに五十音が書けないと、幼稚園で恥をかくらしい。幼いながらに、誰が恥をかくのだろう、と思った。僕にはまだ恥という高級な感情はなく、裸体で夫人の前に出ても平気だった。五十音を書けない恥…。母親の、貝殻の奥の肉が食い破られる恥…。恥というのは敗北宣言であり、石化されることだった。自分の分身が劣等動物で、動物園にいる猿に向けるようなまなざしを向けられ、裏で嘲笑される。母親の恥は大きなものではなくごく小さなもので、それは動物を〆る時の罪悪感、キュと鶏の首を〆る時の「音」が恥だった。母親にとって、自分は哀れな鶏であり、他人のまなざしは自分を〆ようとする屠殺人に見えたのだろう。とにかく僕は五十音を必死に覚えた。上手く書けないときは、僕は母親にぶたれたような気もする。
「やの次はゆでしょ!こんなことも分からないの?恥ずかしい!」
母は屠殺されないように必死に僕を屠殺していたのだと、今になっては思う。大人の世界では恥をかくということは石になり、木になり、鶏になることだった。
これが僕の最古の記憶だ。クラスで五十音を一番に覚えた賞を貰っても、何も起きなかった。
小学生になっても、母親の屠殺は続いた。テストの度に、椅子に座らせて、必ず百点をとらせようとするのだ。けれど、テスト前以外は自由に遊ばせてくれた。広い牧草地で草を食む牛のように僕はたくさん遊んだ。父親の教育方針も取り入れられるようになったらしい。けれど中学受験のときは今になって思い返しても酷かった。帰ったら毎日、勉強机に向かわされ、母親の買ってきたドリルと過去問を解かされ、僕は消耗して二回倒れた。倒れても母親は病院へ連れていくことはせず、眼が醒めると僕を勉強机に座らせるのだった。友人と牧草地を悠々と歩いているほうが楽しいのに、なぜ勉強をしなければならないのかと尋ねると、
「これはケンジのためなのよ。この中学に入れば全部上手くいくから」と言われた。それは驚くべきことに、愛だったのだ。僕は紛れもなく愛されていたし、この年齢になると恥という感情も分かってくる。自分の裸体をクラスメイトの女子に見せるのが恥ずかしいというぐらいのことは分かる。給食で、苦手な椎茸を食べたとき、嘔吐した。男子は嘲笑し、女子は悲鳴をあげた。僕はこの時初めて母親のいう恥というものがどれほど恐ろしいものか知った。それは自分では如何ともしがたいという意味で運命に似ており、急所を的確に殺戮してくると言う意味では屠殺に似ていた。僕も底辺中学へ行くのは恥ずかしいので、必死に勉強をした。
合格番号の貼りだしに、自分の番号があった。けれど何も起こらなかった。
高校へ入ると、この恥のゲームが次第に嫌になってきた。コードに従った変なことをすれば、面白い奴だが、微妙にでもコードを外れると、「まなざし」が急所を、闘牛士のように突き刺してくる。僕はこの「まなざし」が嫌になった。急所、秘所を隠すのが疲れてしまった。僕は次第に引きこもるようになった。引きこもりというのはコードから完全に逸脱していて、学校にいる「普通」の人たちが僕のことを見下し、あざ笑っているのは分かっていたけれど、僕はそのゲームから降りた。母親はそんな僕に何も言わず、ただただ泣いていた。僕がゲームを放棄することは、母親もゲームを放棄することだ。僕は母親のこの時の涙は、安堵の涙だったんじゃないかと思うことがある。
「別にケンジとずっと家で暮らしても何も問題ないもんね」というようなことをしきりに言うようになった。母親の中で恥の果実が弾けたのだと思う。学校をやめても、何も起こらなかった。
受験では何も起こらない、と思った僕は女を求めるようになった。ネットで顔のいい女を見つけては、家に押しかけたり、ホテルへ行ったりした。僕は童貞だったので、初めては風俗へ行った。乳首を舐めると、ゴムのような味がした。ただの肌の味がした。これなら自分の指を舐めてるのと何も変わらないじゃないか、と一人心の中で笑った。ゴムの味がする乳首を舐めると、風俗嬢は感じてもないのに声を出す。喜劇だった。挿入しても、なんの感動も起こらなかった。しばらく腰をふっていると、ところてんのように精子がぐにゅりと出てきた。慎ましい快感と、目の前にある人体への嫌悪感。驚くほど何も起こらなかった。友達に相談すると
「それは、好きな人とセックスしてないからだよ」と言われたので、僕は恋愛することにした。ネットで適当に気の合う人を見つけて、好きになった。好きだと伝えると、向こうも好きだと返して来たので、会うことにした。
デートで美術館へ行った。芸術には何かあるかもしれない、と思った。コローの絵も見たしセザンヌの絵も見たしゴーギャンの絵も見た。なんの感興も起きなかった。芸術というのは味のしないガムのようだなと思った。何も始まらないし、何も終わらない。美術館で何かが始まる、もしくは終わると思っていた僕は、少しイラついてきて、部屋へ彼女を連れ込んで、セックスをした。その日は、クリスマスだった。好きな人の乳首も、ゴムのような味だった。けれど、好きな人に生で挿入するのは流石に興奮した。確かに、何かが沸騰しそうな気配はあった。ただ、いつものようにぐにゃりと精液が出ると、慎ましい快楽と目の前の媚態に嫌悪感がわいてきて、「何も起こらなかった」。
僕は疑うようになった。何も始まらないし、何も終わらないんじゃないか?中学受験をしても高校受験をしても芸術品を見てもセックスをしても何も始まらないし何も終わらないんじゃないか?
多分、人を殺しても終わらないだろう。多分、財産を築いても何も終わらないだろう。多分、名声を得ても何も終わらないだろう。
残ってるのは死ぐらいだ。僕は今この手記を、死んだあとに書いている。僕は十月九日に自殺した。スタッフロールは流れなかった。ここはどうやら死後の世界らしく、天使らしきものがときどき家に訪ねてくる。スタッフロールは流れない。
僕の一番古い母親の記憶は、眼鏡の奥で怒りを燃やしながら、僕を椅子に座らせようとしている記憶だ。なんでも、幼稚園に行くまでに五十音が書けないと、幼稚園で恥をかくらしい。幼いながらに、誰が恥をかくのだろう、と思った。僕にはまだ恥という高級な感情はなく、裸体で夫人の前に出ても平気だった。五十音を書けない恥…。母親の、貝殻の奥の肉が食い破られる恥…。恥というのは敗北宣言であり、石化されることだった。自分の分身が劣等動物で、動物園にいる猿に向けるようなまなざしを向けられ、裏で嘲笑される。母親の恥は大きなものではなくごく小さなもので、それは動物を〆る時の罪悪感、キュと鶏の首を〆る時の「音」が恥だった。母親にとって、自分は哀れな鶏であり、他人のまなざしは自分を〆ようとする屠殺人に見えたのだろう。とにかく僕は五十音を必死に覚えた。上手く書けないときは、僕は母親にぶたれたような気もする。
「やの次はゆでしょ!こんなことも分からないの?恥ずかしい!」
母は屠殺されないように必死に僕を屠殺していたのだと、今になっては思う。大人の世界では恥をかくということは石になり、木になり、鶏になることだった。
これが僕の最古の記憶だ。クラスで五十音を一番に覚えた賞を貰っても、何も起きなかった。
小学生になっても、母親の屠殺は続いた。テストの度に、椅子に座らせて、必ず百点をとらせようとするのだ。けれど、テスト前以外は自由に遊ばせてくれた。広い牧草地で草を食む牛のように僕はたくさん遊んだ。父親の教育方針も取り入れられるようになったらしい。けれど中学受験のときは今になって思い返しても酷かった。帰ったら毎日、勉強机に向かわされ、母親の買ってきたドリルと過去問を解かされ、僕は消耗して二回倒れた。倒れても母親は病院へ連れていくことはせず、眼が醒めると僕を勉強机に座らせるのだった。友人と牧草地を悠々と歩いているほうが楽しいのに、なぜ勉強をしなければならないのかと尋ねると、
「これはケンジのためなのよ。この中学に入れば全部上手くいくから」と言われた。それは驚くべきことに、愛だったのだ。僕は紛れもなく愛されていたし、この年齢になると恥という感情も分かってくる。自分の裸体をクラスメイトの女子に見せるのが恥ずかしいというぐらいのことは分かる。給食で、苦手な椎茸を食べたとき、嘔吐した。男子は嘲笑し、女子は悲鳴をあげた。僕はこの時初めて母親のいう恥というものがどれほど恐ろしいものか知った。それは自分では如何ともしがたいという意味で運命に似ており、急所を的確に殺戮してくると言う意味では屠殺に似ていた。僕も底辺中学へ行くのは恥ずかしいので、必死に勉強をした。
合格番号の貼りだしに、自分の番号があった。けれど何も起こらなかった。
高校へ入ると、この恥のゲームが次第に嫌になってきた。コードに従った変なことをすれば、面白い奴だが、微妙にでもコードを外れると、「まなざし」が急所を、闘牛士のように突き刺してくる。僕はこの「まなざし」が嫌になった。急所、秘所を隠すのが疲れてしまった。僕は次第に引きこもるようになった。引きこもりというのはコードから完全に逸脱していて、学校にいる「普通」の人たちが僕のことを見下し、あざ笑っているのは分かっていたけれど、僕はそのゲームから降りた。母親はそんな僕に何も言わず、ただただ泣いていた。僕がゲームを放棄することは、母親もゲームを放棄することだ。僕は母親のこの時の涙は、安堵の涙だったんじゃないかと思うことがある。
「別にケンジとずっと家で暮らしても何も問題ないもんね」というようなことをしきりに言うようになった。母親の中で恥の果実が弾けたのだと思う。学校をやめても、何も起こらなかった。
受験では何も起こらない、と思った僕は女を求めるようになった。ネットで顔のいい女を見つけては、家に押しかけたり、ホテルへ行ったりした。僕は童貞だったので、初めては風俗へ行った。乳首を舐めると、ゴムのような味がした。ただの肌の味がした。これなら自分の指を舐めてるのと何も変わらないじゃないか、と一人心の中で笑った。ゴムの味がする乳首を舐めると、風俗嬢は感じてもないのに声を出す。喜劇だった。挿入しても、なんの感動も起こらなかった。しばらく腰をふっていると、ところてんのように精子がぐにゅりと出てきた。慎ましい快感と、目の前にある人体への嫌悪感。驚くほど何も起こらなかった。友達に相談すると
「それは、好きな人とセックスしてないからだよ」と言われたので、僕は恋愛することにした。ネットで適当に気の合う人を見つけて、好きになった。好きだと伝えると、向こうも好きだと返して来たので、会うことにした。
デートで美術館へ行った。芸術には何かあるかもしれない、と思った。コローの絵も見たしセザンヌの絵も見たしゴーギャンの絵も見た。なんの感興も起きなかった。芸術というのは味のしないガムのようだなと思った。何も始まらないし、何も終わらない。美術館で何かが始まる、もしくは終わると思っていた僕は、少しイラついてきて、部屋へ彼女を連れ込んで、セックスをした。その日は、クリスマスだった。好きな人の乳首も、ゴムのような味だった。けれど、好きな人に生で挿入するのは流石に興奮した。確かに、何かが沸騰しそうな気配はあった。ただ、いつものようにぐにゃりと精液が出ると、慎ましい快楽と目の前の媚態に嫌悪感がわいてきて、「何も起こらなかった」。
僕は疑うようになった。何も始まらないし、何も終わらないんじゃないか?中学受験をしても高校受験をしても芸術品を見てもセックスをしても何も始まらないし何も終わらないんじゃないか?
多分、人を殺しても終わらないだろう。多分、財産を築いても何も終わらないだろう。多分、名声を得ても何も終わらないだろう。
残ってるのは死ぐらいだ。僕は今この手記を、死んだあとに書いている。僕は十月九日に自殺した。スタッフロールは流れなかった。ここはどうやら死後の世界らしく、天使らしきものがときどき家に訪ねてくる。スタッフロールは流れない。
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