充分
「私、この頃、もう充分生きたかなって思うことがあるのよ。あなたはない?そう思う事。私は三島由紀夫やソクラテスが死に抵抗することのなかった理由が分かる気がするのよ。彼らは充分に生きたという自負があったんじゃないかしら。人が死に赴くのに必要なのは、充分に生きたという誇りと、ほんの少しの疲労じゃないか、って思うのよね。」と言って私は自分の少しニヒルの混じった告白を誤魔化すようにタバコの煙を吐いた。ああ、この煙のように消えてしまえたら。
「僕はそうは思わないな。確かに君は同年代の女の子と比べたらたくさんの経験をしている。それは認めよう。けれどうちの母親と比べたらただの小娘だぜ。経験は量じゃなくて質って言いたいんだろう、君は。けど量ってのも大事だと思うぜ。例えば君は中絶したことがあるだろう。うちの母親は三回も中絶したんだ。一回目の中絶と、二回目の中絶と、三回目の中絶は、やっぱり質の違うものだと思うよ。僕はまだ自分が充分に生きたなんて思えない。僕は夢があるんだ。その夢を無視して自分だけ死ぬなんて考えられないな。」
ケンジは軽率に私の中絶の話を出したことを誤魔化すようにタバコの煙を吐いた。お互いの煙はセックスするみたいに絡み合って、夜空へ昇って行った。
「私はもう、余生を生きている気がするのよ。分かるかしら。充分に生きたっていうのはそういうことよ。決して絶望してるわけではないわ。ただ、希望や期待がないっていうだけなの。全てがデジャヴュのような感覚。私は充分にやったわ。今の毎日は凄く楽しい。ユミコたちもいるし、こうやってケンジも愚痴を聞いてくれるしね。さっき余生と言ったけれど、今が人生の黄金期だという気もするの。芥川風に言うと、将来に対する唯ぼんやりした不安。今より充実した生が自分に降りかかるとは思えない。あはは、ごめんね。暗い話して。」田舎の夜景は、都会の夜景より酔いやすいな、田舎の夜はただの暗闇で、身体が溶け出す予兆のようだった。私はすでに自殺するのにとっておきの場所を見つけていた。自殺するのに作られたような場所。ケンジも、顔はいいけどつまらない男だなと思う。夢なんて、叶えてもただの現実でしかない。その子供らしい純真さが羨ましいな、と思うこともあるけれど。きっと私は自分に持っていないものを持っているからケンジに心を許しているだろう。
「ま、そんな暗いこと言わずにさ。酒でも飲もうよ。」と言ってケンジは私に缶チューハイを渡してきた。すでにぬるくなっていて、私の人生を暗示しているようだった。ぬるい人生の中で酔っている…。早めに決行しようと思った。
自殺のための場所というのは校舎のことで、私はここから飛び降りて何人も自殺したことを知っている。私は自分の人生に誇りを持っているし、逃げるために死ぬわけじゃない。「もう結構です」というのが私の自殺の理由だった。もう充分だった。
ケンジが帰ったあと、私は校舎に行って、空を飛んだ。
『12日午前10時半ごろ、さいたま市の中学校の校舎の下で、中学2年の女子生徒が倒れているのが見つかり、死亡した。 女子生徒の遺書には、「いじめや家族間のトラブルではない。楽しいままで終わりたい」などと書いてあったということで、校舎から飛び降り自殺したとみられている。』
「僕はそうは思わないな。確かに君は同年代の女の子と比べたらたくさんの経験をしている。それは認めよう。けれどうちの母親と比べたらただの小娘だぜ。経験は量じゃなくて質って言いたいんだろう、君は。けど量ってのも大事だと思うぜ。例えば君は中絶したことがあるだろう。うちの母親は三回も中絶したんだ。一回目の中絶と、二回目の中絶と、三回目の中絶は、やっぱり質の違うものだと思うよ。僕はまだ自分が充分に生きたなんて思えない。僕は夢があるんだ。その夢を無視して自分だけ死ぬなんて考えられないな。」
ケンジは軽率に私の中絶の話を出したことを誤魔化すようにタバコの煙を吐いた。お互いの煙はセックスするみたいに絡み合って、夜空へ昇って行った。
「私はもう、余生を生きている気がするのよ。分かるかしら。充分に生きたっていうのはそういうことよ。決して絶望してるわけではないわ。ただ、希望や期待がないっていうだけなの。全てがデジャヴュのような感覚。私は充分にやったわ。今の毎日は凄く楽しい。ユミコたちもいるし、こうやってケンジも愚痴を聞いてくれるしね。さっき余生と言ったけれど、今が人生の黄金期だという気もするの。芥川風に言うと、将来に対する唯ぼんやりした不安。今より充実した生が自分に降りかかるとは思えない。あはは、ごめんね。暗い話して。」田舎の夜景は、都会の夜景より酔いやすいな、田舎の夜はただの暗闇で、身体が溶け出す予兆のようだった。私はすでに自殺するのにとっておきの場所を見つけていた。自殺するのに作られたような場所。ケンジも、顔はいいけどつまらない男だなと思う。夢なんて、叶えてもただの現実でしかない。その子供らしい純真さが羨ましいな、と思うこともあるけれど。きっと私は自分に持っていないものを持っているからケンジに心を許しているだろう。
「ま、そんな暗いこと言わずにさ。酒でも飲もうよ。」と言ってケンジは私に缶チューハイを渡してきた。すでにぬるくなっていて、私の人生を暗示しているようだった。ぬるい人生の中で酔っている…。早めに決行しようと思った。
自殺のための場所というのは校舎のことで、私はここから飛び降りて何人も自殺したことを知っている。私は自分の人生に誇りを持っているし、逃げるために死ぬわけじゃない。「もう結構です」というのが私の自殺の理由だった。もう充分だった。
ケンジが帰ったあと、私は校舎に行って、空を飛んだ。
『12日午前10時半ごろ、さいたま市の中学校の校舎の下で、中学2年の女子生徒が倒れているのが見つかり、死亡した。 女子生徒の遺書には、「いじめや家族間のトラブルではない。楽しいままで終わりたい」などと書いてあったということで、校舎から飛び降り自殺したとみられている。』
コメントを書く...
Comments