文化
何事にも栄枯盛衰がある。僕はもう「文化」という奴がオワコンなんじゃないかと思ってしまう。
共産主義者がいるとしよう。彼は革命に身を投じ、情熱をかけて共産主義国家を作る。成功する。するとどうだろう、彼の情熱は途端に冷める。
西洋哲学はプラトンから始まり、ヘーゲル、マルクスあたりまでは、革命に身を投じる青年のようだったと思う。しかしポストモダン辺りから、徐々に「奇天烈なものを作った人の勝ち」のようなゲームになっていき、死んだ。
現代アートは物凄く詳しいわけではないが、作品が、人間の想像力が「飽和」しきった辺りでデュシャンが「泉」を創り、そっから「奇天烈なものを作った人の勝ち」ゲームが始まったように思う。死んでいる。
文学。文学もまた、想像力が「飽和」したのだと思う。しかしそこから奇怪なものを作るのではなく、「ぬるい作品」がただただ消費されていくという現状になっていて、死んでいる。
音楽はまだ生きていると思うが、例えばノイズミュージックという分野だと、どれだけ奇を衒うかというゲームになっているらしい。
文系のメインカルチャーはもう死んでいると思う。アニメや漫画、ゲームなどのサブカルチャーのほうが、もはやメインカルチャーになりつつある。
歴史の授業で、中国のなんとかという文明で、文化が「爛熟した」と書いてあったのが印象に残っている。もう文系のメインカルチャーの「爛熟」は終わっており、あとは衰退するだけなのだと思う。
宗教と科学とサブカルチャーだけが残る世界が来る。淋しいことだと思う。
共産主義者がいるとしよう。彼は革命に身を投じ、情熱をかけて共産主義国家を作る。成功する。するとどうだろう、彼の情熱は途端に冷める。
西洋哲学はプラトンから始まり、ヘーゲル、マルクスあたりまでは、革命に身を投じる青年のようだったと思う。しかしポストモダン辺りから、徐々に「奇天烈なものを作った人の勝ち」のようなゲームになっていき、死んだ。
現代アートは物凄く詳しいわけではないが、作品が、人間の想像力が「飽和」しきった辺りでデュシャンが「泉」を創り、そっから「奇天烈なものを作った人の勝ち」ゲームが始まったように思う。死んでいる。
文学。文学もまた、想像力が「飽和」したのだと思う。しかしそこから奇怪なものを作るのではなく、「ぬるい作品」がただただ消費されていくという現状になっていて、死んでいる。
音楽はまだ生きていると思うが、例えばノイズミュージックという分野だと、どれだけ奇を衒うかというゲームになっているらしい。
文系のメインカルチャーはもう死んでいると思う。アニメや漫画、ゲームなどのサブカルチャーのほうが、もはやメインカルチャーになりつつある。
歴史の授業で、中国のなんとかという文明で、文化が「爛熟した」と書いてあったのが印象に残っている。もう文系のメインカルチャーの「爛熟」は終わっており、あとは衰退するだけなのだと思う。
宗教と科学とサブカルチャーだけが残る世界が来る。淋しいことだと思う。
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