なぜエロゲオタクはきしょいのか
最近エロゲオタクを観測することが多くなった。全員きしょい。なぜきしょいか考える。
前提として、エロゲは「終わったコンテンツ」である。今でもエロゲの新作は出てるには出てるが、ほとんどマニアしか買ってないと言ってもいいだろう。しかもきしょいエロゲオタクは新作はほとんどプレイせず、「終の空」とか「素晴らしき日々」とか「さよならを教えて」とかゼロ年代のエロゲばっかやってるので、新作は置いとく。
で、エロゲオタクはなぜきしょいのか。それはそもそもエロゲはきしょい奴向けのコンテンツだからである。フェミニストが批判するように、エロゲは男にとって、都合の良い女しか出てこない。「男から見た女」しか出てこない、男の幻想の中の女しか出てこないので、モテない人間や、自己愛を満たしたい人間がやる。僕はこういうのを「よちよちコンテンツ」と呼びたいと思うが、現在はこのよちよちコンテンツで隆盛を極めているのが「なろう系」である。僕はこんな下等な作品全くみたことがないのだけれど、まあハーレム系が多い時点でいろいろ察する。
ではなぜエロゲオタクは、「なろう系」で満足しないのか?逆張りオタクだからである。だからきしょい。骨董趣味と言ってもいい。しかもエロゲは哲学などをモチーフにしたものが多いので、「俺はなろう系なんか見る俗物なんかとは違う」という選民思想が働いていて、きしょい。一言で言えば「通ぶりたい」のだ。
まとめると、エロゲはそもそも、現実で満たされないナルシストのナルシズムを(幻想の女で)満たす「よちよちコンテンツ」である。エロゲの会社が哲学や文学をエロゲにぶっこんでいるのも、そういうナルシストのナルシズムを満たすためだろう。エヴァと同じく、そこにあるのは衒学だけで、特に意味はなく、本当にナルシズムを満たす効果しかないのだけれど。
次に、逆張りだからきしょい。「今どき昔のエロゲをプレイしてる俺かっこいい」という意識がにじみ出てて、きしょい。
今エロゲをやってる奴は、感傷家で、ナルシストで、女に幻想を抱いている馬鹿である。
前提として、エロゲは「終わったコンテンツ」である。今でもエロゲの新作は出てるには出てるが、ほとんどマニアしか買ってないと言ってもいいだろう。しかもきしょいエロゲオタクは新作はほとんどプレイせず、「終の空」とか「素晴らしき日々」とか「さよならを教えて」とかゼロ年代のエロゲばっかやってるので、新作は置いとく。
で、エロゲオタクはなぜきしょいのか。それはそもそもエロゲはきしょい奴向けのコンテンツだからである。フェミニストが批判するように、エロゲは男にとって、都合の良い女しか出てこない。「男から見た女」しか出てこない、男の幻想の中の女しか出てこないので、モテない人間や、自己愛を満たしたい人間がやる。僕はこういうのを「よちよちコンテンツ」と呼びたいと思うが、現在はこのよちよちコンテンツで隆盛を極めているのが「なろう系」である。僕はこんな下等な作品全くみたことがないのだけれど、まあハーレム系が多い時点でいろいろ察する。
ではなぜエロゲオタクは、「なろう系」で満足しないのか?逆張りオタクだからである。だからきしょい。骨董趣味と言ってもいい。しかもエロゲは哲学などをモチーフにしたものが多いので、「俺はなろう系なんか見る俗物なんかとは違う」という選民思想が働いていて、きしょい。一言で言えば「通ぶりたい」のだ。
まとめると、エロゲはそもそも、現実で満たされないナルシストのナルシズムを(幻想の女で)満たす「よちよちコンテンツ」である。エロゲの会社が哲学や文学をエロゲにぶっこんでいるのも、そういうナルシストのナルシズムを満たすためだろう。エヴァと同じく、そこにあるのは衒学だけで、特に意味はなく、本当にナルシズムを満たす効果しかないのだけれど。
次に、逆張りだからきしょい。「今どき昔のエロゲをプレイしてる俺かっこいい」という意識がにじみ出てて、きしょい。
今エロゲをやってる奴は、感傷家で、ナルシストで、女に幻想を抱いている馬鹿である。
コメントを書く...
Comments