なぜ苦しいのに生きなければならないのか
それは、心臓が動いているからだと思う。呼吸をしているからだと思う。「意志」や「思考」をする脳というのは、身体の一部に過ぎない。
身体は、生きようとする盲目的な意志を持っている。だから心臓は止まらないし、呼吸も無意識のうちにしている。なぜ?分からない。身体は非合理的なものだから、分子生物学でも未だに解明されていない。ネオダーウィニズムを使えば説明できるかもしれないが、「増えたから増えた」という以上に非合理的なものを身体は孕んでいると思う。身体は僕ではない。僕が身体ならば、僕は肺を病ませなかっただろう。
生きようとする意志は非合理的で、それは身体というものに現れている。僕はそれを美しいものだと思う。全ての生き物は身体を持っていて、脳とは関係なく、身体は生きよう生きようとしている。
僕が存在しているのが、まず非合理だ。そして身体が生きたがるのも非合理だ。しかし非合理というのはマイナスな言葉だとは僕は思わない。神秘だと言い換えてもいいだろう。
なぜ苦しいのに生きなければならないのか?それは心臓が鼓動を打っているから
身体は、生きようとする盲目的な意志を持っている。だから心臓は止まらないし、呼吸も無意識のうちにしている。なぜ?分からない。身体は非合理的なものだから、分子生物学でも未だに解明されていない。ネオダーウィニズムを使えば説明できるかもしれないが、「増えたから増えた」という以上に非合理的なものを身体は孕んでいると思う。身体は僕ではない。僕が身体ならば、僕は肺を病ませなかっただろう。
生きようとする意志は非合理的で、それは身体というものに現れている。僕はそれを美しいものだと思う。全ての生き物は身体を持っていて、脳とは関係なく、身体は生きよう生きようとしている。
僕が存在しているのが、まず非合理だ。そして身体が生きたがるのも非合理だ。しかし非合理というのはマイナスな言葉だとは僕は思わない。神秘だと言い換えてもいいだろう。
なぜ苦しいのに生きなければならないのか?それは心臓が鼓動を打っているから
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