芸術
どこかで川端康成が「真の芸術には霊性がなければならない」というようなことを言っていた。僕もその通りだと思う。僕は芸術観に関しては保守的な考え方をしていると思う。美のイデアを発掘するのが芸術で、今はやっているスピードがどうのとか、そういうのは僕はどうでもいい、くだらないものだと思う。僕に見える範囲内で言うと、現代の芸術はその時楽しけりゃいいというオモシロ主義に染まっていると思う。
つまり、永遠性の問題であって、霊性=永遠性がその作品に感じられるなら僕はその作品をいい作品だと思う。でも現代アートや現代短歌、現代文学にはそういうものが一切感じられない。絵画や短歌など詳しくないけど、例えば松尾芭蕉などの俳句にはマジに永遠がある、と僕は感じる。文学も最近齧り始めたばかりだけれど、三島由紀夫の金閣寺にはそういった凄みがあった。
僕は音楽が好きだけれど、特に好きなのが大森靖子で、彼女の曲は刹那性と永遠性が混じり合っているように思う。「私たちはいつか死ぬのよ 夜を超えても」「いつか男とか女とか関係なくなるくらいに愛し合おうよ」「あまり永くない永遠に依存する」
こういう歌詞が好きだけれど、夏果てという曲が一番それを感じる。
作品はいつか消え去る。しかし、キルケゴールのいう永遠性のアトムがあればいい、つまりその瞬間に永遠が感じられればいいのだと思う。
つまり、永遠性の問題であって、霊性=永遠性がその作品に感じられるなら僕はその作品をいい作品だと思う。でも現代アートや現代短歌、現代文学にはそういうものが一切感じられない。絵画や短歌など詳しくないけど、例えば松尾芭蕉などの俳句にはマジに永遠がある、と僕は感じる。文学も最近齧り始めたばかりだけれど、三島由紀夫の金閣寺にはそういった凄みがあった。
僕は音楽が好きだけれど、特に好きなのが大森靖子で、彼女の曲は刹那性と永遠性が混じり合っているように思う。「私たちはいつか死ぬのよ 夜を超えても」「いつか男とか女とか関係なくなるくらいに愛し合おうよ」「あまり永くない永遠に依存する」
こういう歌詞が好きだけれど、夏果てという曲が一番それを感じる。
作品はいつか消え去る。しかし、キルケゴールのいう永遠性のアトムがあればいい、つまりその瞬間に永遠が感じられればいいのだと思う。
コメントを書く...
Comments