ファッションとASD | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

ファッションとASD

 全てのものは記号化されうる。記号、というのは僕なりに翻訳すると「〇〇な俺/私」ということだ。例えば、文学男子な俺、ホス狂いの私、港区女子の私、高学歴な俺、メンヘラな私、リスカしてる私、オシャレな私、ディズニーが好きな私、エロゲオタクな俺。なんでも〇〇な俺/私に変換されうる。
 ツイッターというサービスは、自分を記号化するSNSと言っていい。インスタとかもそうだろう。昔は階級があり、長男の俺、とか農民の俺、とか武士の俺、とかがあったのが、個人主義と自由主義が欧米から輸入され、固定化されたアイデンティティがなくなったので、自分で記号を見つけて身につけなければならなくなったのだろう。
 最近、ディズニーオタクのフォロワーが炎上して、ファンをやめたと言っていた。そのとき「ディズニーもう好きにならなくていいって考えるのめちゃ楽ー」とツイートしていた。これが全てを物語っていると思うが、別にエロゲのツイートをしている人はエロゲが好きではない。エロゲをしている自分が好きなのだ。

 自閉症スペクトラム障害の人は、この構造を脱臼しているように思える。なぜなら「自己」や「まなざし」が存在していないから。僕はいつでもパジャマで散歩するが、それは僕に他者のまなざしが存在していないからだろう。
 ASDの人と喋ると、この「記号性の欺瞞」についての意見が一致することが多い。例えば、結構前の話だが、ASDの人と「いらすとやの画像をアイコンにしてる人って、自分はアイコンとかにこだわりませんから、みたいな自意識が垣間見えてキモいよね」という話をした。今はいらすとやは人口に膾炙してるからたくさんいらすとやアイコンがいるが、当時は珍しかった。
 「〇〇ってインテリぶってるよね」
 「ジャズ聞いてる俺カッケーの人TLにいる?」「クラシックならいるよ」みたいな会話もする。

 ASDは自己がない。だからこの現代的な地獄の外部に存在している。悪く言えば、記号やファッションに無頓着だ。みんな明確な自己像というのが欲しいのだろうが、ASDの人は明確な自己像がないし、欲してもいないと思う。僕は、自分の顔や名前にすら「自己」を感じることができない。

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