死ねる
仏法とは鋭いナイフのようなもので、常に人間にこう問いかける「今死ねるか?」この切っ先を首に突き付けるのが仏法であり、その解決も仏法によるしかない。
「今死ねるか?」という問いにイエスと答えそうな人を何人も知っているが、それはこの世から逃避したいという願望に基づいており、死を自分の中に抱いたわけではない。むしろ死に包まれている。仏法は、人間が死を抱えるものに育てる。死を抱えている人間は、今死ねる。
今死ねない人間は、いつまでも死ねない。人間は「死ねない」。僕は人間は必ず死ぬもんだと思っていたが、人間は「死ねない」。祖父や母親の死を間近で見て感じたのは「死ねない」ということだった。
僕が引きこもって研究してきたのは、畢竟「死ねる」ようになるためであった。僕は死にたくない一心で哲学書や宗教書を乱読していたが、仏法は僕を死ねる人間にしてくれた。
「今死ねるか?」という問いにイエスと答えそうな人を何人も知っているが、それはこの世から逃避したいという願望に基づいており、死を自分の中に抱いたわけではない。むしろ死に包まれている。仏法は、人間が死を抱えるものに育てる。死を抱えている人間は、今死ねる。
今死ねない人間は、いつまでも死ねない。人間は「死ねない」。僕は人間は必ず死ぬもんだと思っていたが、人間は「死ねない」。祖父や母親の死を間近で見て感じたのは「死ねない」ということだった。
僕が引きこもって研究してきたのは、畢竟「死ねる」ようになるためであった。僕は死にたくない一心で哲学書や宗教書を乱読していたが、仏法は僕を死ねる人間にしてくれた。
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