酷く寂しい
自分以外の、他人の人生を生きている気がする。発情した蝉の声が頭蓋骨に入って延々とぐるぐる回転している。その蝉の声は合わせ鏡のようにだんだん倍化されていき、僕は発狂する。しかし生きるということは狂うということで、物を語るということは発狂するということだ。僕に聞こえている蝉の声があなた方に聞こえているとは限らない。僕は皮膚の中に閉じ込められ、誰とも交通できない一人の狂人であり、あなた方のひとりひとりに「こころ」と言ったものがあるのかどうかすらわからない、僕の世界は僕で完結し、僕が終われば世界も終わる。社会という矯正器具をつけることで、かろうじて狂気をおさえることに成功している人達も、いつかタガが外れ、精神科へ行くことになるだろう。精神病棟では全ての感情を感じることが許されいて、そこだけが世界で唯一正常な場所だった。
間違えた世界に生きている気がする。僕が間違えているのか、世界が間違えているのかの二者択一だが、恐らく、僕のほうが間違えていて、世界は電車の時刻表の如く正常に作動しているんだろう。僕が間違い続けている間にも正常な世界はがたんごとんと寸分の狂いもなくレールの上を走っていて、電車の中で、発狂したり喚いたりしているキチガイを見たことがあるでしょう?あれがつまり僕なのだ。終着点は死。次は終着点の死です。
孤独というのは心の問題ではなく、肉体の問題であって、僕たちが母胎から排泄されたときに始まる物理的な問題である。世の中に絶対はないという人がいるが、人間が孤独だというのは絶対だ。僕の場合の孤独は恐らく普通の人の孤独より繊細かつ複雑で、淋しさと言ったほうがいいだろう。耐えられない。九年間自室で一人過ごすことに耐えられる人間がこの世に何人いるだろうか?孤独ないし淋しさというのは肉体の問題だと言ったが、それを解消するには二つの方法しかない、死か信仰だ。死で無に帰れば虚無の連続体へ回帰することができるだろう、もしくは仏を信仰することができれば我と仏は一体となるだろう、有限者と無限者は一致し、孤独は消え去る。仏は私の中にいて、私は仏に中にいる。皮膚という壁で断絶されている人間同士では絶対に孤独を解消することはできない。
そうかしら、少なくとも私にとってあなたは狂ってなんかないわ。狂気というのはこういう風に対話もできない状態のことを言うんじゃないのかしら。あなたはたしかに自分の世界にこもりがちだけれど、決して、他人との交通を一切拒否しているわけではないわ。一すじの糸はきっとあって、だからこうやって私と会話しているんでしょう?皮膚に囲まれた孤独、というのは確かにその通りだけれど、他人の腕の中で「今なら死ねる」と思ったときには孤独は消えていると思うわ。意識は確かに別々だけれど、孤独っていうのは、言い換えれば恐怖でしょう?群れから疎外される恐怖でしょう?私の腕の中で、その恐怖が霧散するならば、あなたの孤独は癒えたと言ってもいいんじゃないの。私はあなたの全てを知っているわけじゃないけれど、あなたの恐怖を癒すことはできるわ。あなたの中の見えない部分、あなた自身にも見えない部分、仏にしか見えない部分もきっとあるのだろうけれど、少なくとも私の腕の中で、あなたは安心することができる。
でも君は僕の魂を知らない。僕がどれだけ傷だらけなのかもしらない。言葉や抱擁では、僕の魂を理解することはできないんだよ。僕は淋しい。酷く淋しい。淋しいから念仏を称えるしかないんだ。
あなたは孤独に酔っているだけよ。繊細な自分に酔ってるんだわ。あなたの魂を私に全て理解することはできないけれど、血だらけの魂を治療することはできるわ。言葉や抱擁によって。あなたは少しわがまま過ぎるのよ。全てを理解されたいなんて傲慢だわ。みんな孤独を抱えながら街を歩いてるのよ。
君も認めてるじゃないか。誰もが孤独だってことを。
そうね、人は誰しも自分の中に他人に理解されない部分、それを狂気と言ってもいいけれど、を持っているけれど、あなたの狂気を私は理解したいし、そこに絶望はない。全的に理解するのは不可能だけれど、近づくことは可能だわ。
君は蝉の声が聞こえるか
聞こえるわよ
僕は酷く淋しい
蝉も淋しいから泣いてるのよ あなたが地中から出て、大声で私の胸で泣けたとき、多分あなたの魂はとろけて救われるわ
そうかな
そうよ、きっと
間違えた世界に生きている気がする。僕が間違えているのか、世界が間違えているのかの二者択一だが、恐らく、僕のほうが間違えていて、世界は電車の時刻表の如く正常に作動しているんだろう。僕が間違い続けている間にも正常な世界はがたんごとんと寸分の狂いもなくレールの上を走っていて、電車の中で、発狂したり喚いたりしているキチガイを見たことがあるでしょう?あれがつまり僕なのだ。終着点は死。次は終着点の死です。
孤独というのは心の問題ではなく、肉体の問題であって、僕たちが母胎から排泄されたときに始まる物理的な問題である。世の中に絶対はないという人がいるが、人間が孤独だというのは絶対だ。僕の場合の孤独は恐らく普通の人の孤独より繊細かつ複雑で、淋しさと言ったほうがいいだろう。耐えられない。九年間自室で一人過ごすことに耐えられる人間がこの世に何人いるだろうか?孤独ないし淋しさというのは肉体の問題だと言ったが、それを解消するには二つの方法しかない、死か信仰だ。死で無に帰れば虚無の連続体へ回帰することができるだろう、もしくは仏を信仰することができれば我と仏は一体となるだろう、有限者と無限者は一致し、孤独は消え去る。仏は私の中にいて、私は仏に中にいる。皮膚という壁で断絶されている人間同士では絶対に孤独を解消することはできない。
そうかしら、少なくとも私にとってあなたは狂ってなんかないわ。狂気というのはこういう風に対話もできない状態のことを言うんじゃないのかしら。あなたはたしかに自分の世界にこもりがちだけれど、決して、他人との交通を一切拒否しているわけではないわ。一すじの糸はきっとあって、だからこうやって私と会話しているんでしょう?皮膚に囲まれた孤独、というのは確かにその通りだけれど、他人の腕の中で「今なら死ねる」と思ったときには孤独は消えていると思うわ。意識は確かに別々だけれど、孤独っていうのは、言い換えれば恐怖でしょう?群れから疎外される恐怖でしょう?私の腕の中で、その恐怖が霧散するならば、あなたの孤独は癒えたと言ってもいいんじゃないの。私はあなたの全てを知っているわけじゃないけれど、あなたの恐怖を癒すことはできるわ。あなたの中の見えない部分、あなた自身にも見えない部分、仏にしか見えない部分もきっとあるのだろうけれど、少なくとも私の腕の中で、あなたは安心することができる。
でも君は僕の魂を知らない。僕がどれだけ傷だらけなのかもしらない。言葉や抱擁では、僕の魂を理解することはできないんだよ。僕は淋しい。酷く淋しい。淋しいから念仏を称えるしかないんだ。
あなたは孤独に酔っているだけよ。繊細な自分に酔ってるんだわ。あなたの魂を私に全て理解することはできないけれど、血だらけの魂を治療することはできるわ。言葉や抱擁によって。あなたは少しわがまま過ぎるのよ。全てを理解されたいなんて傲慢だわ。みんな孤独を抱えながら街を歩いてるのよ。
君も認めてるじゃないか。誰もが孤独だってことを。
そうね、人は誰しも自分の中に他人に理解されない部分、それを狂気と言ってもいいけれど、を持っているけれど、あなたの狂気を私は理解したいし、そこに絶望はない。全的に理解するのは不可能だけれど、近づくことは可能だわ。
君は蝉の声が聞こえるか
聞こえるわよ
僕は酷く淋しい
蝉も淋しいから泣いてるのよ あなたが地中から出て、大声で私の胸で泣けたとき、多分あなたの魂はとろけて救われるわ
そうかな
そうよ、きっと
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