絶望
蝉の声がしわじわと身体にしみ込んで来る。それが心地よくもあり、不快でもあった。頭蓋の中で蝉の声がぐるぐる回転し、まともな思考ができない。神社に灯篭がたっており、それがやけに風雅に、涼しく感じられた。神社には、青いベンチがぽつんと淋しくおいてあり、そこに座って僕たちは話すことにした。
「僕は絶望しているけどね、前とは質の違う絶望なんだ。」
「質が違うってどういうこと?」
「諦念ともいうのかな、もうどうなってもいいや、というやけっぱちの感情で、それは絶望と呼ぶには低級すぎるのかもしれない」
「絶望に高級も低級もないと思うわ。前はどう絶望していたの?」と言って佐伯はぱあと煙を吐いた。空に昇って、消えた。
「前はね、結局死ぬから何もかも無駄だと思って、結局無になるから何も意味がないと思って、ちょうど今君が吐いた煙みたいになるのなら、人生は物凄くつまらないものに思えた。」
「それで?今はどう変わったの?」
「今は、明るく絶望しているというのかな。仏がいるから死後の問題は解決したという安堵感はあるんだけれど、希望はないんだ」
「希望?夢とか?」
「そう、安田理深師は、明るく悩むってことが大事だと仰ってるが、僕は明るく絶望することが大事だと思う。人生に望みを持たない。そうすれば裏切られることもない。」
「なんだかそれって生命力を奪われる思想のように聞こえるわ。」
蝉は松の木に止まって、さっきとはうって変わって囁くように鳴いている。
「蝉の人生の目的ってのは、鳴いて鳴いて鳴きまくって、子孫を残すことだろう」
「そうね」
「僕は鳴いてるんだ。でも子孫を残すことには執着してない。分かるかな。僕は今小説を書いてるだろ?けれどそれが成功するか失敗するかはどうでもいいんだ。それが夢でも希望でもない。」
「それはどうして?」
「もう、人生の目的は達したという実感があるからかな。念仏に出会うというね。だからあとのことは、どうでもいいんだ。どうでもいいといえば語弊があるけれど、遊びみたいなもので、それが成功するかどうかの望みは絶えてるんだ。それが明るく絶望するということだと、僕は思う」
「ふうん、なんだか達観してるのねえ。でもそれだとさっきも言ったけれど、人生から情熱が失われるんじゃないかしら」
「それは僕も分からない。僕はそもそも何かに情熱をかけたことがないんだ。情熱という言葉の意味も分かってないんだ。リアリティがない。」
蝉の声はどんどん小さくなって、内緒話をするような声になっていった。ベンチの下をふと見ると、松の葉と煙草の灰が散らばっていた。
「情熱のない人生は虚しくないかしら?」
「そうだね、僕には情熱が足りないのかもしれない」
ついに蝉の声は絶えて、神社はしんと静まり返った。僕たちもなんとなく話すのをやめて、沈黙の中に沈んだ。
「僕は絶望しているけどね、前とは質の違う絶望なんだ。」
「質が違うってどういうこと?」
「諦念ともいうのかな、もうどうなってもいいや、というやけっぱちの感情で、それは絶望と呼ぶには低級すぎるのかもしれない」
「絶望に高級も低級もないと思うわ。前はどう絶望していたの?」と言って佐伯はぱあと煙を吐いた。空に昇って、消えた。
「前はね、結局死ぬから何もかも無駄だと思って、結局無になるから何も意味がないと思って、ちょうど今君が吐いた煙みたいになるのなら、人生は物凄くつまらないものに思えた。」
「それで?今はどう変わったの?」
「今は、明るく絶望しているというのかな。仏がいるから死後の問題は解決したという安堵感はあるんだけれど、希望はないんだ」
「希望?夢とか?」
「そう、安田理深師は、明るく悩むってことが大事だと仰ってるが、僕は明るく絶望することが大事だと思う。人生に望みを持たない。そうすれば裏切られることもない。」
「なんだかそれって生命力を奪われる思想のように聞こえるわ。」
蝉は松の木に止まって、さっきとはうって変わって囁くように鳴いている。
「蝉の人生の目的ってのは、鳴いて鳴いて鳴きまくって、子孫を残すことだろう」
「そうね」
「僕は鳴いてるんだ。でも子孫を残すことには執着してない。分かるかな。僕は今小説を書いてるだろ?けれどそれが成功するか失敗するかはどうでもいいんだ。それが夢でも希望でもない。」
「それはどうして?」
「もう、人生の目的は達したという実感があるからかな。念仏に出会うというね。だからあとのことは、どうでもいいんだ。どうでもいいといえば語弊があるけれど、遊びみたいなもので、それが成功するかどうかの望みは絶えてるんだ。それが明るく絶望するということだと、僕は思う」
「ふうん、なんだか達観してるのねえ。でもそれだとさっきも言ったけれど、人生から情熱が失われるんじゃないかしら」
「それは僕も分からない。僕はそもそも何かに情熱をかけたことがないんだ。情熱という言葉の意味も分かってないんだ。リアリティがない。」
蝉の声はどんどん小さくなって、内緒話をするような声になっていった。ベンチの下をふと見ると、松の葉と煙草の灰が散らばっていた。
「情熱のない人生は虚しくないかしら?」
「そうだね、僕には情熱が足りないのかもしれない」
ついに蝉の声は絶えて、神社はしんと静まり返った。僕たちもなんとなく話すのをやめて、沈黙の中に沈んだ。
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