自閉症の哲学
妹から本を貰った。どんな本か知りたいということなので、要約していく。3章ある。
1章
1章は自閉症の歴史を追いながら自閉症の哲学を考えていく。
まず、自閉症とは「コミュニケーションと社会性の障害」と「反復性・常同性」と主にした障害である。
カナーという人が幼児性自閉症という言葉を作ったが、精神分裂症とよく似ている自閉症をそれから区別するものは「生まれつき孤独を好む」ということだった。精神分裂病は発病するまで何も起こらない。
一方アスペルガーという人も、自閉症のものは「自分自身に自足していて環境との交流がない」と定義した。
ウィングという人が、自閉症はカテゴリーではなくスペクトラムだという論文を書いた。カテゴリーというのははっきり白黒と決めることで、スペクトラムというのは白から黒へ、中間の灰色のグラデーションがあるということである。この考えによって、定型発達と自閉症者が地続きであるという考えも生まれる。
次に自閉症の原因についての学説史を見ていく。
1944年には、後天的なものだと考えられていた。それゆえ母親の愛情不足の「母親冷蔵庫説」なるものが唱えられていた。脳の問題だとは考えられていなかった。
60年代から70年代にかけて、心の病気ではなく脳の障害だと考えられるようになった。マイケル・ラターという人は自閉症を言語機能、認知機能の障害だと唱えた。しかしこれでは知的障害などとの区別ができないことや、高知能を持っている自閉症者のことを説明できないという欠点があった。
次にマインド・ブラインド説というのが現れた。これは自閉症者は「心の理論」が理解できないというものだ。心の理論の辞書的な解説を引用しておく。
「わたしたちは人の行動の背後に,なんらかの意図,好み,信念といったものがあり,行動に影響を及ぼすと考えている。特定の心の状態と特定の行動の間には法則的関連があり,その法則性の集まりをある種の「理論体系」とみなし,心の理論とよぶ。」
2段階や3段階目で言われているように、自閉症が脳の障害ならば、以前から一定数いたはずだ。だから自閉症は近年になって「発見」された障害ともいえる。二段階目の理論からマインドブラインド理論は、自閉症が認知の機能ではなく、社会の機能の障害だと捉えられるようになったことを示している。だからといって、昔の人は社会性に乏しかった、というわけではないが、自閉症が社会性の障害だと考えられるようになったのは、なにか理由がありそうだ。
マインドブラインドネス理論は画期的だったが、それに通過する自閉症者が現れたり、反復性などを説明できないという欠点があった。@自閉症の統一的な理論A定型発達者も射程に入れた理論B知能との関わりを射程に入れた理論。が待たれている。
マインドブラインドネス提唱者のバロン・コーエン氏はどのように研究を進めているのだろうか。バロン氏は、システム型の男性脳、共感型の女性脳という概念を作り、自閉症者は極端な男性脳だという。共感というのは他人の感情が引き金になって自分にも感情が起こることである。システムというのは幅広い概念で、スイッチを入れると電気がつくだとか、円安になると輸入物価があがるだとか、AIのシステムだとか、そういうのが一切含まれる。この理論は男性脳という概念を作ることで、反復性や常同性も解釈できる有力な説である。
どうやって自閉症を哲学するか。
心の理論ということを中心にする。サリー・アン課題でググって欲しいが、このような想像力、を軸に、カントを使って哲学していく。
2章
カントのいう構想力とは「対象をその対象が現存していない場合にも直観において表象する能力」であり、「直観の多様を一つの形象へともたらしているはずである」というものである。ほぼ想像力と同じである。
純粋理性批判の目的は形而上学の独断論を粉砕し、神や自由などの概念を理性の領域から放逐することであった。
カントによれば認識は感性と悟性によって生まれる。感性は外に見える景色で、悟性は思考能力のことである。感性によって外観を直観し、悟性によってそれを概念化する。
やっぱだめだ 当事者としても哲学オタクとしても なんかちがう感が拭えない ごめんなさい…
1章
1章は自閉症の歴史を追いながら自閉症の哲学を考えていく。
まず、自閉症とは「コミュニケーションと社会性の障害」と「反復性・常同性」と主にした障害である。
カナーという人が幼児性自閉症という言葉を作ったが、精神分裂症とよく似ている自閉症をそれから区別するものは「生まれつき孤独を好む」ということだった。精神分裂病は発病するまで何も起こらない。
一方アスペルガーという人も、自閉症のものは「自分自身に自足していて環境との交流がない」と定義した。
ウィングという人が、自閉症はカテゴリーではなくスペクトラムだという論文を書いた。カテゴリーというのははっきり白黒と決めることで、スペクトラムというのは白から黒へ、中間の灰色のグラデーションがあるということである。この考えによって、定型発達と自閉症者が地続きであるという考えも生まれる。
次に自閉症の原因についての学説史を見ていく。
1944年には、後天的なものだと考えられていた。それゆえ母親の愛情不足の「母親冷蔵庫説」なるものが唱えられていた。脳の問題だとは考えられていなかった。
60年代から70年代にかけて、心の病気ではなく脳の障害だと考えられるようになった。マイケル・ラターという人は自閉症を言語機能、認知機能の障害だと唱えた。しかしこれでは知的障害などとの区別ができないことや、高知能を持っている自閉症者のことを説明できないという欠点があった。
次にマインド・ブラインド説というのが現れた。これは自閉症者は「心の理論」が理解できないというものだ。心の理論の辞書的な解説を引用しておく。
「わたしたちは人の行動の背後に,なんらかの意図,好み,信念といったものがあり,行動に影響を及ぼすと考えている。特定の心の状態と特定の行動の間には法則的関連があり,その法則性の集まりをある種の「理論体系」とみなし,心の理論とよぶ。」
2段階や3段階目で言われているように、自閉症が脳の障害ならば、以前から一定数いたはずだ。だから自閉症は近年になって「発見」された障害ともいえる。二段階目の理論からマインドブラインド理論は、自閉症が認知の機能ではなく、社会の機能の障害だと捉えられるようになったことを示している。だからといって、昔の人は社会性に乏しかった、というわけではないが、自閉症が社会性の障害だと考えられるようになったのは、なにか理由がありそうだ。
マインドブラインドネス理論は画期的だったが、それに通過する自閉症者が現れたり、反復性などを説明できないという欠点があった。@自閉症の統一的な理論A定型発達者も射程に入れた理論B知能との関わりを射程に入れた理論。が待たれている。
マインドブラインドネス提唱者のバロン・コーエン氏はどのように研究を進めているのだろうか。バロン氏は、システム型の男性脳、共感型の女性脳という概念を作り、自閉症者は極端な男性脳だという。共感というのは他人の感情が引き金になって自分にも感情が起こることである。システムというのは幅広い概念で、スイッチを入れると電気がつくだとか、円安になると輸入物価があがるだとか、AIのシステムだとか、そういうのが一切含まれる。この理論は男性脳という概念を作ることで、反復性や常同性も解釈できる有力な説である。
どうやって自閉症を哲学するか。
心の理論ということを中心にする。サリー・アン課題でググって欲しいが、このような想像力、を軸に、カントを使って哲学していく。
2章
カントのいう構想力とは「対象をその対象が現存していない場合にも直観において表象する能力」であり、「直観の多様を一つの形象へともたらしているはずである」というものである。ほぼ想像力と同じである。
純粋理性批判の目的は形而上学の独断論を粉砕し、神や自由などの概念を理性の領域から放逐することであった。
カントによれば認識は感性と悟性によって生まれる。感性は外に見える景色で、悟性は思考能力のことである。感性によって外観を直観し、悟性によってそれを概念化する。
やっぱだめだ 当事者としても哲学オタクとしても なんかちがう感が拭えない ごめんなさい…
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