既に
20世紀最大の覚者と呼ばれる、ラマナ・マハルシにこんな問答がある。
求道者「どうすれば悟ることができるでしょうか」
ラマナ・マハルシ「"自分は悟っていない"という思いだけが悟りの邪魔をしている」
実際そうなのだと思う。禅などで大悟した人は「なんでこんな簡単なことが分からなかったんだろう」とか「自分で自分を騙していた」とかいう。ネイサン・ギルというノンデュアリティのティーチャーの本に「すでに目覚めている」という本があるが、本当なんだろう。「俺はまだ悟っていない」という思いだけが邪魔をしている。
真宗もそういうところがある。法蔵菩薩が衆生のために功徳を積んで、衆生の身体に往生できる功徳は満ち満ちている。じゃあなぜ衆生は助からないのか?「俺はまだ助かってない」という思いがあるからだ。「俺はまだ助かってない」という思いだけが邪魔をしている。すでに救いは完成して、間に合いすぎるほど間に合っているのに、思いだけが邪魔をしている。
人間はすでに、悟りや救済といったものの中に生きている。なんかよくわからんけど、真理とか真如とか、そういう大きいものの中で生きている。僕はそう思う。それを拒否しながら生きるのがニヒリズムという生き方なのだと思う。
求道者「どうすれば悟ることができるでしょうか」
ラマナ・マハルシ「"自分は悟っていない"という思いだけが悟りの邪魔をしている」
実際そうなのだと思う。禅などで大悟した人は「なんでこんな簡単なことが分からなかったんだろう」とか「自分で自分を騙していた」とかいう。ネイサン・ギルというノンデュアリティのティーチャーの本に「すでに目覚めている」という本があるが、本当なんだろう。「俺はまだ悟っていない」という思いだけが邪魔をしている。
真宗もそういうところがある。法蔵菩薩が衆生のために功徳を積んで、衆生の身体に往生できる功徳は満ち満ちている。じゃあなぜ衆生は助からないのか?「俺はまだ助かってない」という思いがあるからだ。「俺はまだ助かってない」という思いだけが邪魔をしている。すでに救いは完成して、間に合いすぎるほど間に合っているのに、思いだけが邪魔をしている。
人間はすでに、悟りや救済といったものの中に生きている。なんかよくわからんけど、真理とか真如とか、そういう大きいものの中で生きている。僕はそう思う。それを拒否しながら生きるのがニヒリズムという生き方なのだと思う。
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