この世の徹底的虚しさ | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

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再来年中に読むもの
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この世の徹底的虚しさ

「この世で価値あるものは何ひとつない」と、日に千度自分に言い聞かせること。永久に同一地点に立って、独楽のように愚かしくぐるぐる回り続けること……。なぜなら、何もかも虚しいという思いには、進歩もなければ決着もないからである。—————シオラン

 生きているのに意味はない。意味も分からず投げ込まれたこの世界で、なぜ生きる?という問いを真摯に問わない人は、僕は嫌いだ。それだけが大事な問題で、「結局死ぬのになぜ生きるのか」という問いを持たない人間は馬鹿だと思うし、それから目を逸らして生きるのは、卑怯だ。「俺の人生なんだったんだろう」と思う日が必ず来る。来る。来る。明日来る。明日、脳の血管が切れる。卑怯をしてたツケが来る。そして脳が炸裂して死ぬ。これを天親菩薩は「空過」と呼んだ。虚しく過ぎる。そして、人生は本当に虚しい。これには薬はない。どう頑張っても人生は虚しい。カラオケだとか恋愛だとかそういうアヘンで誤魔化しているだけで、人生は虚しい。「この世で価値あるものは何ひとつない」

 浄土教は、もとはと言えば厭離穢土、欣求浄土の思想だ。この何もかも虚しい世界を厭い離れて、清らかな浄土へ行きましょうという教えだ。こういう話を聞いた。
 後世者と呼ばれる人たちがいる。病気になったら浄土へ行けると喜んで、病気が治ったら浄土へ遠のいたと悲しむような人たちだ。そういう後世者のエピソード。
 そのお坊さんが、ある日歩いていると、とてもぼろっちい家があったらしい。なんでだろう、と思ってそこへ通りかかったそこの主人へ、なぜ家を修繕しないのですか、と聞いたら、ああ、そろそろもう引っ越すんだよ、だから古い家はボロボロのままでいいんだ、と答えられたらしい。それを聞いたその坊さんは、これが厭離穢土、欣求浄土だ、と思って感動したらしい。この穢土は、「どうでもいい」穢土だ。穢い世界だ。そんなとこで頑張ってどうする。どうせ捨てる世界じゃないか。

 この娑婆世界は、なにをどう頑張っても虚しい。何も価値のあるものがない。でもそれが最近福音に思えてきた。「この世ってどうでもいいんだな!」とある種の開き直りができるようになった。この世のものは全部無駄だから、どうでもいい、執着しなくていい。適当に生きればいい。本番はここじゃない。本番は死んで仏になってからだ。

 希望のある「虚しさ」は「遊び」だと思う。なんの目的もなく、ただ遊ぶ。希望がなければ遊びの下に深淵が待ち構えているけれど、浄土というクッションがあれば安心して遊べる。この世は、どうでもいい。どうでもいいというのは、凄く楽だ。

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