無責任主義
僕は責任感が強い。だから日直の日はとても緊張したし、学級委員長の仕事はきっちりこなしたし、宿題も忘れたことがないし、浮気もしたことがない。子供なんか絶対つくりたくない。責任を持ちたくないから。だから、つらい。責任感というのは緊張感と一体になっている。強迫観念とも一体となっている。僕は、責任感が強いが故に、責任から逃れ続けてきた。その結果、引きこもっている。僕は他人に「僕の人生全部やって」と言うことがある。自分の人生に責任を持ちたくない。
そんな僕に、清沢満之の提唱する無責任主義というのは福音だった。清沢満之も倫理の問題に苦しんだようで、如来に責任を放り投げないと自殺しかねないらしかった。
責任とはなんぞや?という問いがそもそも難しいが、僕は「ケジメをつける」ことだと思う。そして僕はケジメをつけたいが、つけれない。でも如来は許してくれる。無責任でいい。ケジメなんかつけなくていい。如来が全部抱きしめてくれる。
僕が人を殺したって責任とらなくていい。働かなくても責任とらなくていい。どっかで野垂れ死んでも如来が責任をとって浄土へ連れてってくれる。無責任に生きよう。
そんな僕に、清沢満之の提唱する無責任主義というのは福音だった。清沢満之も倫理の問題に苦しんだようで、如来に責任を放り投げないと自殺しかねないらしかった。
責任とはなんぞや?という問いがそもそも難しいが、僕は「ケジメをつける」ことだと思う。そして僕はケジメをつけたいが、つけれない。でも如来は許してくれる。無責任でいい。ケジメなんかつけなくていい。如来が全部抱きしめてくれる。
僕が人を殺したって責任とらなくていい。働かなくても責任とらなくていい。どっかで野垂れ死んでも如来が責任をとって浄土へ連れてってくれる。無責任に生きよう。
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