凡夫 王様
哲学者の西田幾多郎は、「凡夫とは仏からの呼びかけである」と言ったらしい。仏智という鏡を経由しないと、自分が凡夫であることが分からないということだろう。以前本屋に行ったとき、「お釈迦様以外みんな馬鹿」という新書があって目を引いたが、そうなのかもしれない。(買わなかった)
僕は凡夫が好きだ。そして王様が嫌いだ。ここでいう王様とは、出家する前の釈尊であったり、法蔵菩薩であったり、アジャセだったりするのだろうが、王様というのは、自分を偉いと思っている。僕は、この大衆が主人公になった現代社会では、生まれつきそういう資質を持っている人は、王様になってしまうと思う。そして王様が一番つらい。自分の価値が100点なのだから、生老病死や求不得苦に耐えられない。求めるものが得られない。自分は王様なのに。
釈尊も法蔵も出家した。そして仏になった。僕たちは出家もできないし仏にもなれない。けれどせめて「凡夫」にはなれると思う。僕は、凡夫が好きだ。生まれつきの凡夫の人もたくさんいる。本当はみな凡夫なのだけれど、凡夫の「自覚」ができない。王位を捨てるのには勇気がいる。頭を下げる。そのままでいい。許されている。
凡夫ということは「裸」ということかもしれない。見抜かれているのに虚栄心で化粧をする必要はない。仏のお見抜きの前で裸になる。そのまんま。
僕は王様が嫌いで、凡夫が好きだ。凡夫に安んじれるということは、とても嬉しいことだと思う。背伸びしなくていい。そのまんま。凡人。平凡。何もなくていい。
僕は凡夫が好きだ。そして王様が嫌いだ。ここでいう王様とは、出家する前の釈尊であったり、法蔵菩薩であったり、アジャセだったりするのだろうが、王様というのは、自分を偉いと思っている。僕は、この大衆が主人公になった現代社会では、生まれつきそういう資質を持っている人は、王様になってしまうと思う。そして王様が一番つらい。自分の価値が100点なのだから、生老病死や求不得苦に耐えられない。求めるものが得られない。自分は王様なのに。
釈尊も法蔵も出家した。そして仏になった。僕たちは出家もできないし仏にもなれない。けれどせめて「凡夫」にはなれると思う。僕は、凡夫が好きだ。生まれつきの凡夫の人もたくさんいる。本当はみな凡夫なのだけれど、凡夫の「自覚」ができない。王位を捨てるのには勇気がいる。頭を下げる。そのままでいい。許されている。
凡夫ということは「裸」ということかもしれない。見抜かれているのに虚栄心で化粧をする必要はない。仏のお見抜きの前で裸になる。そのまんま。
僕は王様が嫌いで、凡夫が好きだ。凡夫に安んじれるということは、とても嬉しいことだと思う。背伸びしなくていい。そのまんま。凡人。平凡。何もなくていい。
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