悲劇 疲労
人生とはまごうことなき悲劇であって、チャップリンの有名な名言などは全くあたらない。ズームで見ても悲劇であるし、ロングショットで見ても悲劇である。
人生は悲劇である。出会い、別れ、愛憎、死。人生をフィクションに例えるのはよくある手法だけれど、僕は今まで「夢」という言葉を使ってきた。ただ、夢という言葉には「苦悩」がない。夢とはシャボン玉のようで、軽やかなニヒリズムといった風もある。
人生は悲劇である。七転八倒、七転び八起きしながら、もがきながら、何も分からず、あがいて、希望が見つかったと思えば裏切られ、何もなければ退屈で、何かがあれば悲しくて、幸福は簡単に崩れて、もがいて、もがいて、最後には、灰になって、終わる。しかも、意味がない。
親鸞は、救いに海のイメージ(本願海など)を多用したが、僕は海は絶望であると思う。ちょうど氷山の一角が上に出ているように、頭だけ海面から飛び出ていて、ずっともがいている。だだっ広い海で、なんの道徳もなく、命令もなく、善もなく、悪もなく、ただただ、疲労だけがあって…。
問題は善でも悪でもなく、疲労だ。疲れたら眠る。当然のこと。人生は、徒労な疲労に過ぎない。
パトラッシュ、僕はもう疲れたよ
人生は悲劇である。出会い、別れ、愛憎、死。人生をフィクションに例えるのはよくある手法だけれど、僕は今まで「夢」という言葉を使ってきた。ただ、夢という言葉には「苦悩」がない。夢とはシャボン玉のようで、軽やかなニヒリズムといった風もある。
人生は悲劇である。七転八倒、七転び八起きしながら、もがきながら、何も分からず、あがいて、希望が見つかったと思えば裏切られ、何もなければ退屈で、何かがあれば悲しくて、幸福は簡単に崩れて、もがいて、もがいて、最後には、灰になって、終わる。しかも、意味がない。
親鸞は、救いに海のイメージ(本願海など)を多用したが、僕は海は絶望であると思う。ちょうど氷山の一角が上に出ているように、頭だけ海面から飛び出ていて、ずっともがいている。だだっ広い海で、なんの道徳もなく、命令もなく、善もなく、悪もなく、ただただ、疲労だけがあって…。
問題は善でも悪でもなく、疲労だ。疲れたら眠る。当然のこと。人生は、徒労な疲労に過ぎない。
パトラッシュ、僕はもう疲れたよ
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