言葉 生命肯定 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

言葉 生命肯定

ときとして人は、動物は精神的能力を欠いているために話さないのだ、と言う。そしてそれが意味するのは、「彼らは考えないから話さないのだ」ということである。だが彼らは単に話さないだけなのだ。あるいはもっと上手く表現するなら、ー最も原初的な形態の言語を除くとー彼らは言語という道具を使用しないのである。命令する、問う、物語る、雑談をする、これらの行為は、歩く、食べる、飲む、遊ぶといった行為と同様に、我々の自然誌の一部なのだ。——————『哲学探究』ウィトゲンシュタイン


 僕は数年前に、言葉とは「鳴き声」だと言っていた。「ここは俺が奢るよ」は交尾のための鳴き声で、「明日遊ばない?」はスキンシップの鳴き声で、等々。これをもっと広げると、言葉とは生きるための「道具」だと言える。人間にアリクイのようにアリを食うための長い口がないように、キリンのように長い首がないように、動物というのは個々で独特の道具を持っている。クジャクの綺麗な羽は「ここは俺が奢るよ」である。
 テレパシーのみで会話する宇宙人が地球に来たとすると、人間も動物も、口から音を出して、なにかコミュニケーションをとっているという点では何も変わらないだろう。「言葉」とは生きるための道具であり、それは鳴き声であり、長い首であり、鳥の巣であり、足の速さだ。

 そういう意味で、「言葉」とはそもそも生命肯定のためにある。言葉の「内容」なんて捨象してしまっても、言葉をしゃべっているという「形式」だけで、「生きるために何かしたい」ということを「示している」。だから言葉を喋るというのは、呼吸と同じだ。それだけで生命肯定だ。

 言葉=鳴き声=生きたい=生命肯定、という形式がある。言葉の内容なんて関係ない。だから思想というのも、もってまわった鳴き声の、生への意志に過ぎない。

 「生きるため」に言葉を吐く、思想を作る。思想の奥には「命」がある。そして、自己を反省して「命」を掴むことができるのは人間しかいないと思う。言葉に拘泥されてはいけない。言葉の奥にある命を掴むこと。鳴き声を発する「意志」を反省的に掴むこと。これは人間にしかできない。
 大いなる命へ帰依します。南無阿弥陀仏。

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