ニーチェ関数
「よし、これが生か、ならば(生を)もう一度!」というのが永劫回帰という思想の定式だ。これが生の最高の方程式だ。これを関数にすると「よし、これがXか、ならば(生を)もう一度!」になる。いろいろ作ってみよう。
「よし、これが恋愛か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これが家族か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これが仕事か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これが美か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これがゲームか、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これがユーチューブか、ならば(生を)もう一度!」
無限に作れる。
死んでしまった母親に、この永劫回帰の話をしたら「母さんはみんながいるから何回でもこの人生があってもいいわあ」と言っていた。晩年は癌の苦しみと戦ったが、母親は人生を根源的に肯定していたのかもしれない。母親の場合は「よし、これが家族か、ならば(生を)もう一度!」だと思う。
この関数には基本的になんでも入れることができるけれど、入れたらバグるものが少しある。
「よし、これが南無阿弥陀仏か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これがイエス・キリストか、ならば(生を)もう一度!」
南無阿弥陀仏や、イエス・キリストに出会うと、人生が回帰しない。この人生が永遠に続いていく。ニーチェ関数は、宗教を入力するとバグる。そしてこの「バグ」がニーチェを超えていくことなのだと思う。ニーチェの肯定よりも、より深い肯定。生まれてきてよかったと本当に思えるものに出会えること。ニーチェ式の輪廻から抜け出ること。バグがある。僕は永劫回帰をぶち破って、浄土へ行きたい。
「よし、これが恋愛か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これが家族か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これが仕事か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これが美か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これがゲームか、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これがユーチューブか、ならば(生を)もう一度!」
無限に作れる。
死んでしまった母親に、この永劫回帰の話をしたら「母さんはみんながいるから何回でもこの人生があってもいいわあ」と言っていた。晩年は癌の苦しみと戦ったが、母親は人生を根源的に肯定していたのかもしれない。母親の場合は「よし、これが家族か、ならば(生を)もう一度!」だと思う。
この関数には基本的になんでも入れることができるけれど、入れたらバグるものが少しある。
「よし、これが南無阿弥陀仏か、ならば(生を)もう一度!」
「よし、これがイエス・キリストか、ならば(生を)もう一度!」
南無阿弥陀仏や、イエス・キリストに出会うと、人生が回帰しない。この人生が永遠に続いていく。ニーチェ関数は、宗教を入力するとバグる。そしてこの「バグ」がニーチェを超えていくことなのだと思う。ニーチェの肯定よりも、より深い肯定。生まれてきてよかったと本当に思えるものに出会えること。ニーチェ式の輪廻から抜け出ること。バグがある。僕は永劫回帰をぶち破って、浄土へ行きたい。
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