思想 赤子
ニーチェは「哲学者」のことを「真理」の「弁護士」と呼んでいる。原口統三も、「自己の思想を表現してみることは、所詮弁解にすぎない」と言っている。僕も「思想」というのはなんか胡散臭いものだと思う。
ニーチェの根本思想に3つの段階というのがあって、一つ目はラクダ、二つ目は獅子、三つ目は赤子なんだけれど、ここでいうラクダというのはいろいろな歴史的、社会的な義務や道徳を背負っている人間のメタファーで、獅子というのは「我欲す」と言って社会的な「価値」に反旗を翻した者のメタファーで、赤子というのはその先にある「無垢」な「肯定」だ。
一休の短歌にこういうのがある。「幼子の しだいしだいに知恵つきて 仏と遠くなるぞ 悲しき」幼子が、だんだん知識や理屈を覚えて、仏=命から遠ざかる。掴まなきゃいけないのは道理理屈である「思想」ではなくて、この「幼子」の精神だと思う。幼子は何も思想を持っていない。そこが「急所」だ。「根本」だ。
反出生主義、というのが最近流行っているが、一番赤子から離れているんじゃないかと思う。理屈をこねて、「生命」を否定する。赤子というのは「そのまま」で、「生命の大肯定」である。イエス・キリストは「神の国に入るのは幼子のような者である」と言った。暁烏敏という大谷派の偉い人も「諸君、如来の前で赤子のようになれよ」と言っていた。宗教とは、世界の大肯定であり、思想よりも根源にある「赤子」を掴むことだ。
ニーチェの根本思想に3つの段階というのがあって、一つ目はラクダ、二つ目は獅子、三つ目は赤子なんだけれど、ここでいうラクダというのはいろいろな歴史的、社会的な義務や道徳を背負っている人間のメタファーで、獅子というのは「我欲す」と言って社会的な「価値」に反旗を翻した者のメタファーで、赤子というのはその先にある「無垢」な「肯定」だ。
一休の短歌にこういうのがある。「幼子の しだいしだいに知恵つきて 仏と遠くなるぞ 悲しき」幼子が、だんだん知識や理屈を覚えて、仏=命から遠ざかる。掴まなきゃいけないのは道理理屈である「思想」ではなくて、この「幼子」の精神だと思う。幼子は何も思想を持っていない。そこが「急所」だ。「根本」だ。
反出生主義、というのが最近流行っているが、一番赤子から離れているんじゃないかと思う。理屈をこねて、「生命」を否定する。赤子というのは「そのまま」で、「生命の大肯定」である。イエス・キリストは「神の国に入るのは幼子のような者である」と言った。暁烏敏という大谷派の偉い人も「諸君、如来の前で赤子のようになれよ」と言っていた。宗教とは、世界の大肯定であり、思想よりも根源にある「赤子」を掴むことだ。
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