永遠
永遠について、強い憧れがある。始皇帝にも負けないぐらい。なぜなら死ぬのが怖いから。無が恐ろしいから。死ぬなら人生は無意味だから。
最近読んだ本にこういう話が載っていた。
お婆さんが死んで、極楽へ往生する。先に死んだお爺さんと、感動の再会をして、お互いの身の上話をして喜ぶ。けれどもずっと何日も何か月もそうしているうちに、二人の顔に影が差してくる。二人でずっとぼんやりしている。お婆さんがふと、こう口にする「地獄って一体どうなっているのかしら」その途端、お爺さんの顔が光り輝いた。
要は、永遠は「退屈」だということだ。小学生の頃読んだ火の鳥で、何かの罰で動けない、大きい蜘蛛のような物体にされて、永遠にそこで意識し続けなければならないという罪人の話が書いてあった。とても恐ろしいと思った。MOTHER3というゲームに、「ぜったいあんぜんカプセル」というカプセルが出てくる。そのカプセルは絶対に安全で、一度閉まると絶対に開かない。そこに「ポーキー」という不老不死の敵キャラが入れられる。ポーキーは永遠にそのカプセルの中で意識し続ける。ジョジョの2部にも同じく不老不死になって宇宙を漂うことになったボスが出てくるのだが、そのボスは最後には「考えるのをやめた」と出てくる。
人間はこのように創作物の中で、「永遠」を恐ろしいもの、「極度の退屈」と描くことがある。僕もただの永遠ならそう思うと思う。
浄土真宗は「還相回向」という思想がある。浄土へ行っても仏にはならず、菩薩になって、この世に帰って来て衆生済度の手伝いをするという思想だ。その手伝いも嫌々やるのではなくて、「遊び」のようなものらしい。永遠に人助けをする。永遠に苦しんでいる人が楽になれるように手助けをする。そこに退屈はないんじゃないだろうか。永遠に遊びながら抜苦与楽をしていく。そういう世界がある。
最近読んだ本にこういう話が載っていた。
お婆さんが死んで、極楽へ往生する。先に死んだお爺さんと、感動の再会をして、お互いの身の上話をして喜ぶ。けれどもずっと何日も何か月もそうしているうちに、二人の顔に影が差してくる。二人でずっとぼんやりしている。お婆さんがふと、こう口にする「地獄って一体どうなっているのかしら」その途端、お爺さんの顔が光り輝いた。
要は、永遠は「退屈」だということだ。小学生の頃読んだ火の鳥で、何かの罰で動けない、大きい蜘蛛のような物体にされて、永遠にそこで意識し続けなければならないという罪人の話が書いてあった。とても恐ろしいと思った。MOTHER3というゲームに、「ぜったいあんぜんカプセル」というカプセルが出てくる。そのカプセルは絶対に安全で、一度閉まると絶対に開かない。そこに「ポーキー」という不老不死の敵キャラが入れられる。ポーキーは永遠にそのカプセルの中で意識し続ける。ジョジョの2部にも同じく不老不死になって宇宙を漂うことになったボスが出てくるのだが、そのボスは最後には「考えるのをやめた」と出てくる。
人間はこのように創作物の中で、「永遠」を恐ろしいもの、「極度の退屈」と描くことがある。僕もただの永遠ならそう思うと思う。
浄土真宗は「還相回向」という思想がある。浄土へ行っても仏にはならず、菩薩になって、この世に帰って来て衆生済度の手伝いをするという思想だ。その手伝いも嫌々やるのではなくて、「遊び」のようなものらしい。永遠に人助けをする。永遠に苦しんでいる人が楽になれるように手助けをする。そこに退屈はないんじゃないだろうか。永遠に遊びながら抜苦与楽をしていく。そういう世界がある。
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