なんで生きてるんだろう
「僕たちもいい年なんだしさ、人生は死ぬまでの暇つぶしとか言ってないで、本気で生きる意味について考えてみようよ」
「どうせ暇だしね。でもとっかかりがないなあ。生きる意味と言えば宗教が真っ先に思い浮かぶけれど、宗教は生きる意味たりえるのかしら」
「まず意味というのが不明瞭だね。意味とはなんなのだろう。アリストテレスは原因を四つに分けたが、生きる意味とはその目的因なんじゃないだろうか」
「キリスト教では、神の計画、目的、直線的な目的に向かって生きていると言えるかもしれない。反対に、仏教などでは目的を完全に排除する。「幸せを追い求めてるときは幸せじゃない」ってね。だから無目的に座禅をする。そこに意味があるんじゃないか」
「無目的というのは、現在の科学的世界観と同じだね。仏教というのは科学と同じ価値観を共有してるのかい?無目的が生きる意味だとは僕はとうてい思えないな。」
「もしもだよ、浄土や神の国に行くことが人生の意味だとして、そこに行ったらどうするんだい、そこに行ったら生きる意味があるのかい」
「真宗では菩薩になって衆生済度をするというが、神の国のことは聖書には詳しく書いてないな。その超越的な世界が生きる意味だというのも怪しい。それはこの現実と何が違うのだ。ただ「永遠」ってだけじゃないか。」
「そう。そこなんだよ。永遠によって死を先延ばしにすることができる。一切を無価値にする死を永遠に先延ばしにすることによって、意味を永遠に生産できるようになるんじゃないか。」
「そうかな。神、がいるとしよう。そして神が全知全能を僕に与えてくれるんだ。そうすれば生きる意味が分かるかな?」
「そりゃわかるだろう」
「いや、僕は分からないと思うな。僕は全知全能なんだけど、そのあとにこう言うことができる「で、それがなんなんだ?」」
「そりゃ全知全能じゃないから今想定できてるだけで、全知全能だったらそんなこと言わないかもしれないじゃないか」
「そもそも神がなんで存在してるか分かるか?」
「分からないよ」
「神が存在している。で、それが何なんだ?と言えてしまうんだよこれが理性の恐ろしいところなんだよ」
「じゃあ僕らの敵は、「で、それが何なんだ?」に集約されてるみたいだね」
「今までの会話の流れだとそうなるみたいだね」
「それが何なんだ?を言わせない方法を考える必要がある」
「言わなきゃいいんじゃないか、座禅をしてる人は黙ってるじゃないか」
「黙って座禅して、で、それが何になるんだ?」
「座禅は完結しているんだろ、疑問を挟む余地がない」
「そうかな、そこは議論の余地があるところだと思うよ」
「————もし僕が神だとしたら、この世界は一体なんなんだろう、とは思うだろうな」
「この世界だけじゃないだろう。で、"俺"は一体結局なんなんだ?と思うんじゃないか」
「アプローチを変えてみないか。意味っていうのは理性で分かるものじゃなくて、感じるものなんだよ、例えば、カナブンの死体を見たときとか、アスファルトに咲く花を見たときとか、恋人とベッドで見つめあってるときとか」
「君も随分とロマンチストだな。確かにそういうときはなにか「意味性」のようなものがこの夢の中へ充満している気がする。我ー汝という奴だな。」
「そうそう、悟ったら、答えが分かるんじゃなくて、問題が—————」
『Kちゃん!ご飯よ!』
「分かった!すぐ行く!」
「どうせ暇だしね。でもとっかかりがないなあ。生きる意味と言えば宗教が真っ先に思い浮かぶけれど、宗教は生きる意味たりえるのかしら」
「まず意味というのが不明瞭だね。意味とはなんなのだろう。アリストテレスは原因を四つに分けたが、生きる意味とはその目的因なんじゃないだろうか」
「キリスト教では、神の計画、目的、直線的な目的に向かって生きていると言えるかもしれない。反対に、仏教などでは目的を完全に排除する。「幸せを追い求めてるときは幸せじゃない」ってね。だから無目的に座禅をする。そこに意味があるんじゃないか」
「無目的というのは、現在の科学的世界観と同じだね。仏教というのは科学と同じ価値観を共有してるのかい?無目的が生きる意味だとは僕はとうてい思えないな。」
「もしもだよ、浄土や神の国に行くことが人生の意味だとして、そこに行ったらどうするんだい、そこに行ったら生きる意味があるのかい」
「真宗では菩薩になって衆生済度をするというが、神の国のことは聖書には詳しく書いてないな。その超越的な世界が生きる意味だというのも怪しい。それはこの現実と何が違うのだ。ただ「永遠」ってだけじゃないか。」
「そう。そこなんだよ。永遠によって死を先延ばしにすることができる。一切を無価値にする死を永遠に先延ばしにすることによって、意味を永遠に生産できるようになるんじゃないか。」
「そうかな。神、がいるとしよう。そして神が全知全能を僕に与えてくれるんだ。そうすれば生きる意味が分かるかな?」
「そりゃわかるだろう」
「いや、僕は分からないと思うな。僕は全知全能なんだけど、そのあとにこう言うことができる「で、それがなんなんだ?」」
「そりゃ全知全能じゃないから今想定できてるだけで、全知全能だったらそんなこと言わないかもしれないじゃないか」
「そもそも神がなんで存在してるか分かるか?」
「分からないよ」
「神が存在している。で、それが何なんだ?と言えてしまうんだよこれが理性の恐ろしいところなんだよ」
「じゃあ僕らの敵は、「で、それが何なんだ?」に集約されてるみたいだね」
「今までの会話の流れだとそうなるみたいだね」
「それが何なんだ?を言わせない方法を考える必要がある」
「言わなきゃいいんじゃないか、座禅をしてる人は黙ってるじゃないか」
「黙って座禅して、で、それが何になるんだ?」
「座禅は完結しているんだろ、疑問を挟む余地がない」
「そうかな、そこは議論の余地があるところだと思うよ」
「————もし僕が神だとしたら、この世界は一体なんなんだろう、とは思うだろうな」
「この世界だけじゃないだろう。で、"俺"は一体結局なんなんだ?と思うんじゃないか」
「アプローチを変えてみないか。意味っていうのは理性で分かるものじゃなくて、感じるものなんだよ、例えば、カナブンの死体を見たときとか、アスファルトに咲く花を見たときとか、恋人とベッドで見つめあってるときとか」
「君も随分とロマンチストだな。確かにそういうときはなにか「意味性」のようなものがこの夢の中へ充満している気がする。我ー汝という奴だな。」
「そうそう、悟ったら、答えが分かるんじゃなくて、問題が—————」
『Kちゃん!ご飯よ!』
「分かった!すぐ行く!」
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