なんで生きてるんだろう | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

なんで生きてるんだろう

「僕たちもいい年なんだしさ、人生は死ぬまでの暇つぶしとか言ってないで、本気で生きる意味について考えてみようよ」
「どうせ暇だしね。でもとっかかりがないなあ。生きる意味と言えば宗教が真っ先に思い浮かぶけれど、宗教は生きる意味たりえるのかしら」
「まず意味というのが不明瞭だね。意味とはなんなのだろう。アリストテレスは原因を四つに分けたが、生きる意味とはその目的因なんじゃないだろうか」
「キリスト教では、神の計画、目的、直線的な目的に向かって生きていると言えるかもしれない。反対に、仏教などでは目的を完全に排除する。「幸せを追い求めてるときは幸せじゃない」ってね。だから無目的に座禅をする。そこに意味があるんじゃないか」
「無目的というのは、現在の科学的世界観と同じだね。仏教というのは科学と同じ価値観を共有してるのかい?無目的が生きる意味だとは僕はとうてい思えないな。」
「もしもだよ、浄土や神の国に行くことが人生の意味だとして、そこに行ったらどうするんだい、そこに行ったら生きる意味があるのかい」
「真宗では菩薩になって衆生済度をするというが、神の国のことは聖書には詳しく書いてないな。その超越的な世界が生きる意味だというのも怪しい。それはこの現実と何が違うのだ。ただ「永遠」ってだけじゃないか。」
「そう。そこなんだよ。永遠によって死を先延ばしにすることができる。一切を無価値にする死を永遠に先延ばしにすることによって、意味を永遠に生産できるようになるんじゃないか。」
「そうかな。神、がいるとしよう。そして神が全知全能を僕に与えてくれるんだ。そうすれば生きる意味が分かるかな?」
「そりゃわかるだろう」
「いや、僕は分からないと思うな。僕は全知全能なんだけど、そのあとにこう言うことができる「で、それがなんなんだ?」」
「そりゃ全知全能じゃないから今想定できてるだけで、全知全能だったらそんなこと言わないかもしれないじゃないか」
「そもそも神がなんで存在してるか分かるか?」
「分からないよ」
「神が存在している。で、それが何なんだ?と言えてしまうんだよこれが理性の恐ろしいところなんだよ」
「じゃあ僕らの敵は、「で、それが何なんだ?」に集約されてるみたいだね」
「今までの会話の流れだとそうなるみたいだね」
「それが何なんだ?を言わせない方法を考える必要がある」
「言わなきゃいいんじゃないか、座禅をしてる人は黙ってるじゃないか」
「黙って座禅して、で、それが何になるんだ?」
「座禅は完結しているんだろ、疑問を挟む余地がない」
「そうかな、そこは議論の余地があるところだと思うよ」
「————もし僕が神だとしたら、この世界は一体なんなんだろう、とは思うだろうな」
「この世界だけじゃないだろう。で、"俺"は一体結局なんなんだ?と思うんじゃないか」
「アプローチを変えてみないか。意味っていうのは理性で分かるものじゃなくて、感じるものなんだよ、例えば、カナブンの死体を見たときとか、アスファルトに咲く花を見たときとか、恋人とベッドで見つめあってるときとか」
「君も随分とロマンチストだな。確かにそういうときはなにか「意味性」のようなものがこの夢の中へ充満している気がする。我ー汝という奴だな。」
「そうそう、悟ったら、答えが分かるんじゃなくて、問題が—————」

『Kちゃん!ご飯よ!』
「分かった!すぐ行く!」

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