浄土真宗の信について
浄土真宗の信心は「所有」するものではないという。「思い固める」ものでもないという。
最近キリスト者の本を読んだのだが、キリスト教はたしかに真宗の言葉で言えば「思い固める信仰」であるような気がした。毎日神に祈りを捧げて、神への思いを強くしていく。つらいときはイエスの慈悲を思い出して、イエスへの思慕を高める。
僕は多分信心を得たっぽいが、確かに何も所有してない。自分の胸をのぞいても、何もない。浄土へ往生できそうなものは何もない。ただ口から「南無阿弥陀仏(お前を助けるぞ)」という声が聞こえるので、それを聞いているだけだ。ほんとにそれだけだ。何も信じていない。お前を助けるから心配するな、という声を聞いているだけだ。本当にそれだけだった。不思議だなあ。
最近キリスト者の本を読んだのだが、キリスト教はたしかに真宗の言葉で言えば「思い固める信仰」であるような気がした。毎日神に祈りを捧げて、神への思いを強くしていく。つらいときはイエスの慈悲を思い出して、イエスへの思慕を高める。
僕は多分信心を得たっぽいが、確かに何も所有してない。自分の胸をのぞいても、何もない。浄土へ往生できそうなものは何もない。ただ口から「南無阿弥陀仏(お前を助けるぞ)」という声が聞こえるので、それを聞いているだけだ。ほんとにそれだけだ。何も信じていない。お前を助けるから心配するな、という声を聞いているだけだ。本当にそれだけだった。不思議だなあ。
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