なぜ信仰は嫌われるのか
友達に「信仰者は怖い」と言われた。その友達曰く「絶対者を仰いでいる人はみんな同じに見える。洗脳と同じ。見えない者を信じる意味が分からない。」と言われた。
人間は自分で絶対者を作ることがあるので、僕もその「怖さ」を理解することはできると思う。「自己の欲望を自分の神とする者を汝らは知っているか クルアーン二十五章四十三節」
例えば僕はホス狂という存在がめちゃくちゃ気持ち悪い。理解できないから。頭がおかしいんじゃないかと思う。ユーチューバーとかアイドルとかに死ぬほど金貢いだりしてる奴も頭がおかしいんじゃないかと思う。でもやっぱりホス狂が一番気持ち悪いな。理解不能だ。相手は完全に商売でやってるのに、そいつの言葉で一喜一憂して、金づるにされてることぐらい理性で分かってるだろうに、金を貢ぎまくってガチ恋してるのが気持ち悪い。「ホスト教」は僕には理解できない。ホストを絶対者としてる宗教は怖い。みんな同じに見える。
人間は自分が理解できないものが怖い。「目に見えない存在を信じる」という意味が分からないので怖い。ただこれはもう自分で実験してくれとしか言えない。哲学よりも芸術よりも深い世界が広がっているので、実験する価値はあるとだけは言っておく。
あと最近読んだ新書に、「宗教は病気や死などの根本矛盾に対応するために存在している。だから、宗教が怖いという人は宗教そのものじゃなくて人生の根本矛盾に向き合うのが怖いのだ。それなりにそれから目を逸らして楽しく悲しく生きているのだから人生をかき回される可能性のある宗教に近づきたくない」みたいなことも書かれてあった。それもあるかもしれない。
信仰をしたら洗脳によって理性が死ぬと思われている節もあるが、少なくとも僕の理性は死んでいないと思う。最近はレヴィナスの勉強をして、仏教の無常の倫理や原口の自閉の論理と突き合せようとしている。
まあ理解されなくてもいい。僕は伝統に騙されて、洗脳されて、本当は死後は無なのに極楽浄土に行くとか言ってる狂人だ。それでいい。
人間は自分で絶対者を作ることがあるので、僕もその「怖さ」を理解することはできると思う。「自己の欲望を自分の神とする者を汝らは知っているか クルアーン二十五章四十三節」
例えば僕はホス狂という存在がめちゃくちゃ気持ち悪い。理解できないから。頭がおかしいんじゃないかと思う。ユーチューバーとかアイドルとかに死ぬほど金貢いだりしてる奴も頭がおかしいんじゃないかと思う。でもやっぱりホス狂が一番気持ち悪いな。理解不能だ。相手は完全に商売でやってるのに、そいつの言葉で一喜一憂して、金づるにされてることぐらい理性で分かってるだろうに、金を貢ぎまくってガチ恋してるのが気持ち悪い。「ホスト教」は僕には理解できない。ホストを絶対者としてる宗教は怖い。みんな同じに見える。
人間は自分が理解できないものが怖い。「目に見えない存在を信じる」という意味が分からないので怖い。ただこれはもう自分で実験してくれとしか言えない。哲学よりも芸術よりも深い世界が広がっているので、実験する価値はあるとだけは言っておく。
あと最近読んだ新書に、「宗教は病気や死などの根本矛盾に対応するために存在している。だから、宗教が怖いという人は宗教そのものじゃなくて人生の根本矛盾に向き合うのが怖いのだ。それなりにそれから目を逸らして楽しく悲しく生きているのだから人生をかき回される可能性のある宗教に近づきたくない」みたいなことも書かれてあった。それもあるかもしれない。
信仰をしたら洗脳によって理性が死ぬと思われている節もあるが、少なくとも僕の理性は死んでいないと思う。最近はレヴィナスの勉強をして、仏教の無常の倫理や原口の自閉の論理と突き合せようとしている。
まあ理解されなくてもいい。僕は伝統に騙されて、洗脳されて、本当は死後は無なのに極楽浄土に行くとか言ってる狂人だ。それでいい。
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