自殺をしてはいけない理由
釈尊は人間には2つの欲があるといった。有愛と無有愛である。有愛というのは「生きようとする意志」で、無有愛というのは「自殺しようとする意志」のことである。2000年以上も前に、無有愛というものを説いているのは、やはりただものじゃないなあと思う。人間心理のプロフェッショナルである。
2000年後ぐらいにフロイトがエロスとタナトスという概念で、同じことを言った。人間にはタナトスという死のうとする意志がある。
人間には全員タナトスが備わっている。即ち人間は全員自殺願望がある。欲求のないところに禁止はない。人間が全員「自殺したい」と思っているからこそ、「自殺してはいけない」という禁止事項ができた。しかしその禁止事項は「汝、殺すなかれ」という禁止と一緒で、「根拠」がない。だから抜けようと思えばいくらでも抜けられる。禁止の柵がガバガバで、「向こう」にまで行くことは誰にでもできる。
「自殺してはいけない」というのは暗黙の了解だ。みんなタナトスを持っているけれど、自殺してはいけない。だからその掟を破って、自殺して「救済」される人間は、「裏切者」だ。僕は「ずるい」と思う。みんな自殺願望を持ちながらも禁止をバカ真面目に受け取っているのだから、「いちぬけた」をするのは「ずるい」と感じる。
自殺をしてはいけない理由。それは「ずるい」からだ。
2000年後ぐらいにフロイトがエロスとタナトスという概念で、同じことを言った。人間にはタナトスという死のうとする意志がある。
人間には全員タナトスが備わっている。即ち人間は全員自殺願望がある。欲求のないところに禁止はない。人間が全員「自殺したい」と思っているからこそ、「自殺してはいけない」という禁止事項ができた。しかしその禁止事項は「汝、殺すなかれ」という禁止と一緒で、「根拠」がない。だから抜けようと思えばいくらでも抜けられる。禁止の柵がガバガバで、「向こう」にまで行くことは誰にでもできる。
「自殺してはいけない」というのは暗黙の了解だ。みんなタナトスを持っているけれど、自殺してはいけない。だからその掟を破って、自殺して「救済」される人間は、「裏切者」だ。僕は「ずるい」と思う。みんな自殺願望を持ちながらも禁止をバカ真面目に受け取っているのだから、「いちぬけた」をするのは「ずるい」と感じる。
自殺をしてはいけない理由。それは「ずるい」からだ。
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