馬鹿とは何なのか? | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
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今年と来年中に読むもの
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再来年中に読むもの
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馬鹿とは何なのか?

 馬鹿とは、無明のことである。これですっぱり定義できた。馬鹿とは無明である。無明とは何か?無明とは真理に暗いことである。
 真理とは何か。様々あるが、ここでは四聖諦を挙げておこう。四聖諦とは、この世は苦しい、苦しみの原因は煩悩である、煩悩を滅すれば楽になる、煩悩を滅する道がある、という四つの真理である。
 だから、煩悩のあるやつが馬鹿である。欲しい、憎い、可愛い、がある奴が馬鹿である。「『凡夫』というふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」
 「お釈迦様以外みんな馬鹿」というタイトルの本を本屋で見かけたことがあるが、そういうことだ。

 僕は、浄土教は「反省」の宗教だと思う。弥陀に照らされたわが身を「あさまし」と点検していく宗教である。こんな汚い心だったのか、と照らされていく宗教だと思う。
 僕は自分のことを賢いと思っていたけれど、最近はあまりそう思わなくなった。つまらん奴だなあと思うことが増えた。

 人はみな「凡夫」である。有限者である。だから、自分の「馬鹿」を自覚するのが、せめてもの智慧なのだけれど、それすらも難しい。なぜなら自分を「馬鹿」だと判断している自分は馬鹿ではないからだ。馬鹿のふりをしても、馬鹿にはなれない。私(この一番上にいる私は驕慢の頂きにいる)→馬鹿だ→私→馬鹿だ→私→馬鹿だ→私→馬鹿だ→私→馬鹿だ→私…
 仏から、「お前は本当にどうしようもない」と言われると、本当に凡夫の自覚ができる。一番上にいた私も仏から「お前は馬鹿だ」と言われたおかげで、馬鹿になれる。

 自分のことを賢いと思ってる傲慢勘違い人間は大馬鹿で、自分なんかつまらんと思ってる謙虚な馬鹿はそれよりマシな馬鹿だ。

 人間はみんな馬鹿である。無明の塊である。けれど、心の底から本当に「自分は馬鹿である」ということを自覚できると、他の勘違いしている人よりは、少しだけ賢くなれる。ここからソクラテスの無知の知の旅が始まるのだが、それはまた別のお話…。

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