神になるということ エンペドクレス、ニーチェ、原口統三 | 人生入門

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再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース
神になるということ エンペドクレス、ニーチェ、原口統三

神になるということ エンペドクレス、ニーチェ、原口統三

 ネットの人が「宗教に興味がある」と言っていたので、「なんで?」と言ったら、「神になりたいから」と言っていた。この前も「神になりたかった」と言って人をひき殺した残忍な事件があった。
 
 神は死んだ。だから人間が神になった。「神」というバカでかい主観性の中で生きていた人間に、主観性が奪還された。人間に主観性という呪いがついてまわるようになった。
 「主観ー対象」という図式を一番最初に作ったのはギリシャのビュタゴラスだろうけれど、それをプラトンが広大な哲学にしあげた。日下部吉信によると、エンペドクレスはこの「主観性」を一身に引き受けたせいで、自分を「神」だと思うようになり、それを証明するために、火山に身を投げて死んだらしい。

 スコラ哲学の神=主観が終わり、デカルトあたりから、人間にまた主観がとりつくようになった。デカルトからニーチェまでは、全部「主観の哲学」と言っても全く差支えがない。そして最後に「主観」そのものになったニーチェは、発狂して死んだ。神が「光あれ」と言うと光ができる。神の言葉=思考と現実との齟齬はない。ニーチェは狂ったあと「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」思考そのものになってしまった。主観=神に取りつかれた人間は死ぬ。

 原口統三。「しかし批評することは、どこまで行っても自己を許すことである。つまり自己自身を批判する最も厳しい眼をもつことは、生きている間は不可能である。
 ここまで到達した後に僕は死を決意した。僕は「より誠実であろう」とするものであって結果を恐れるものではない。僕はどうしても自分を許せなかったのだ。」私→私→私→私→私→私→私→私→私→私→私→私→私と、私の主観化=対象化は一生続く。主観性の化け物ができる。だから、死んだ。

 神が死んだあと、主観に呪われた人間が「神」にならない方法があるか?図式に書いた。凡夫に安んずる。西田幾多郎がいうに、「凡夫」とは仏からの呼び声である。

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