人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー今年と来年中に読むもの西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
https://www.utayom.in/users/9552

哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

お見抜き

 信心決定している友達に「疑いがひどくてつらい」と相談したところ、「阿弥陀様はそんなのお見抜きだよ」と言われた。「こちらがいくら背を向けてもこっちを向いている」とも言われた。五劫の思惟のときにすでに、僕のちっぽけな疑いなど「お見抜き」なのだ。

 キリスト教とイスラム教を理論で戦わせる場合、イスラム教が圧倒するらしい。理論で負けたキリスト教徒がイスラム教に改宗する場合、「アッラーにはすべてお見抜きだった」ということになるだろう。けれども、「お見抜き」というのは理論ではないと思う。例えば、浄土真宗に帰依している人が、キリスト教へ改宗するとすれば、「イエスさまは全てお見抜きで待っていた」ということになるだろう。その人がまたイスラム教へ改宗すれば、「全てはアッラーの手のひらの中の出来事だった」となるだろう。キリがない。浄土真宗にとっては阿弥陀仏=真如が究極の、それ以上遡れない「メタ原理」であり、イスラム教の人にとってはアッラーが究極のメタ原理である。並列しているメタ原理で、誰が究極的に「見抜いて」いるのか?
 キリスト教の信仰は決断だと聞く。浄土真宗の場合は「宿縁」だと思う。

 僕は阿弥陀仏が全ての人の心を「お見抜き」していると思う。それはいろいろな縁が重なってそうなっているのだと思う。キリスト教の人は、決断によって、全知全能のGODが世界中の人の心を「お見抜き」していると信じるのだと思う。

 誰が見抜いているのか?誰の手のひらの上で踊っているのか?僕には仏としか思えない。

 改宗などの問題などで揺れるときは、「誰の手のひらの上で踊っているのか?」の問いに収れんされると思う。「その相手の理論武装で揺れて不審が起きるのも全部お見抜きだから、安心しなさい」
 
 真っ白い 個室の天井 死が近く 弥陀のベッドで 浄土まで寝る #tanka