人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー今年と来年中に読むものハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
https://www.utayom.in/users/9552

哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー

今年と来年中に読むもの
ハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

ハイデガーVSパスカル

 パスカルも、ハイデガーも、「実存的覚醒」の契機は結構似ていると思う。それは「虚無」であったり「死」であったりが契機となる。

 その根本契機に会う気分が、2人で少しずれる。ハイデガーは「不安」であり、パスカルは「退屈」である。不安は現存在(人間)から、世界の意義がなくなる「天啓」といったものだろう。普段慣れ親しんでいる世界、習慣化された世界から、意義がはぎとられて、「無」が露出する。この気分が人間を真に目覚めさせる。
 パスカルの場合は「退屈」である。「人間の不幸は一人で部屋にじっとしていられないことから始まる」と言ったように、人間は退屈になると、「虚無」で「惨め」な自分を直視しなければならなくなる。

 そこから逃避する手段として、ハイデガーは空談、好奇心、曖昧性を挙げているが、これはパスカルとほぼ同じだ。パスカルもお喋りや好奇心で「気晴らし」をし、人間の本当の実存を隠す人間を糾弾している。

 逃避をせずに、気分に被投された結果はどうなるか?
 ハイデガーの場合は、「有限性を意識した勇気」と言っていいだろう。死を先駆けることによって、「己だけに関係する、有象無象の偶然性をはぎ取った可能性」が露出してくる。死は代理されない。だから自分だけに関係する。死は追い越すことができない。だから有象無象の偶然的な可能性は排除される。「本当の自分自身として生きる可能性」が抽出されてくる。
 パスカルの場合、退屈から、虚無で惨めな自分が透明に見えるようになるだけだ。でもそれが「本当」の自分だ。人間は虚無で惨めなものだ。パスカルの目から見ると、人間は目隠しをして絶壁に走っている人だし、死刑が確定している死刑囚である。そして最後は、棺桶の上に土をハラリと乗せられて、それで、おしまい。逃避をしないことによって露呈されるこの「虚しさ」から逃げない。そこから信仰が導かれてくる。虚しさを癒すのは信仰しかない。

 僕は完全にパスカル派だ。でもイケイケのユーチューバーが、「人生限られてるんだからやりたいことやらなくちゃ損だぜ!」とか言ってるの見たことあるので、ハイデガー派の人もいるのかもしれない。大体の人は「気晴らし」で逃避をしていると2人とも言っているけれど、ハイデガーになるにしても、パスカルになるにしても、せめて「有限性」や「死」から眼を背けない「本当」が出てくる時間はみんな持ってほしいと思う。