人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー今年と来年中に読むものハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
https://www.utayom.in/users/9552

哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー

今年と来年中に読むもの
ハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

信仰の不可能性

 人間は対自的存在である。対自とは、「自己への現前」という意味である。
A=神は存在する、という信念を持つとする。Aという状態を即自状態だとしよう。Aという信念は、対自において、A(についての)意識と、対になる。意識は反射するものであるから、ここはAという信念と、A(についての)意識が反射しあって、【反射-反射されるもの】という二つであると同時に一つであるという事態になる。
 A(についての)意識は、Aの否定である。信念を知るということは、もはや信じていないということである。Aという即自状態にあった信念が、対自の現前によって「問題にされ」て、信念は破壊される。意識は絶えず脱自的である。信念は非信念に移り変わっていく。

サルトル用語を使わずに、通俗的に書く。
 「神は存在する」という信念を持つ。それをAとする。そのAを、私は「対象化」することができる。「Aは正しい」「Aは間違っている」「Aは怪しい」対象化した時点で、信念は「思い」となる。思いの中で、信念はぷかぷかと浮かぶことになる。「信念そのもの」であったものは、意識に対象化されたせいで、「判断対象」という矮小なものとなる。「信念」は「信念についての意識」に滑っていき、信念ではなくなる。「意識」は信念ではない。

 よって、信仰を持つことは不可能である。ただ、信心を得ることは可能である。信心とは聞即信であるから。