哲学をするということ
木田元が、「哲学なんかしても何にもならない」と言い残して死んだと何かで読んだ記憶がある。ハイデガーは凄い、面白い、と喧伝していた木田元だが、晩年になるとハイデガーの第二の主著ともいわれる「哲学への寄与」についても「よく分からない」といい、だんだんトーンダウンしていったらしい。あまり書籍は追ってないけれど、死を異常に怖がっている中島義道は最近「70歳の絶望」という本を出したらしい。
哲学は何にもならないという批判は、プラトンの対話編のころから出ている。政治家か軍人か忘れたけど、結構イケイケのギリシャ人が「若い奴が哲学なんかするな、体を鍛えろ」みたいなことを言って、ソクラテスを批判していた記憶がある。「哲学なんか何にもならない」という批判は、哲学が出てきた当初からあったようだ。
でも、僕は哲学が何かになるとは思う。例えばニーチェやハイデガーの哲学は、ナチスに使われた。例えば、ショーペンハウアーの哲学は、ワーグナーに多大な影響を及ぼした。ポストモダン思想は、「帝国主義的思想」を政治的に追い払うのに役に立った。
まあ、哲学が何に一番寄与するかというと、「世界観」だと思う。時代のムードをそのまま写し取る哲学者もいるし、次の時代の世界観を描き出す人もいる。ニーチェやショーペンハウアーの世界観に魅了される人は多いだろうし、フッサールの厳密な学というモチーフに魅了される人もいるだろう。サルトルのアンガージュマンが流行った時期もあった。
哲学が何かになることはある。でも「僕が哲学書を読むこと」は何にもならない。僕は哲学者でもなんでもない。研究者ですらない。時代のムードをうつしとって、それで論理を描き出すことなんかできない。厳密な学なんか考えただけでくらくらする。「僕」が哲学書を読んだところで、それが何になるか?一言で言える。「気晴らし」である。そういう意味で、僕はパスカルの重力の中にいる。僕は哲学をして「真理」を知れるとも思っていないし、僕に「体系の伽藍」を建立することができるとも思っていないし、ニーチェのような鋭いアフォリズムを書くことができるとも思っていない。そういう意味で、本当に「気晴らし」である。ネットの女に「なんで哲学をやってるんですか?」と聞かれたときに、上記の旨を言ったら、ブロックされたことがある。おそらく「真理を探究しているかっこいい哲学者」を求めていたんだろう。僕はそんなたいそうな人間ではない。凡夫である。
哲学から概念を学んで、このブログにアウトプットするのも楽しいけれど、それはカラオケに行ったりハロウィンで騒ぐのと大して変わらないと思う。哲学は、気晴らしである。僕は大哲学者ではない。僕の哲学なんぞない。
哲学は何にもならないという批判は、プラトンの対話編のころから出ている。政治家か軍人か忘れたけど、結構イケイケのギリシャ人が「若い奴が哲学なんかするな、体を鍛えろ」みたいなことを言って、ソクラテスを批判していた記憶がある。「哲学なんか何にもならない」という批判は、哲学が出てきた当初からあったようだ。
でも、僕は哲学が何かになるとは思う。例えばニーチェやハイデガーの哲学は、ナチスに使われた。例えば、ショーペンハウアーの哲学は、ワーグナーに多大な影響を及ぼした。ポストモダン思想は、「帝国主義的思想」を政治的に追い払うのに役に立った。
まあ、哲学が何に一番寄与するかというと、「世界観」だと思う。時代のムードをそのまま写し取る哲学者もいるし、次の時代の世界観を描き出す人もいる。ニーチェやショーペンハウアーの世界観に魅了される人は多いだろうし、フッサールの厳密な学というモチーフに魅了される人もいるだろう。サルトルのアンガージュマンが流行った時期もあった。
哲学が何かになることはある。でも「僕が哲学書を読むこと」は何にもならない。僕は哲学者でもなんでもない。研究者ですらない。時代のムードをうつしとって、それで論理を描き出すことなんかできない。厳密な学なんか考えただけでくらくらする。「僕」が哲学書を読んだところで、それが何になるか?一言で言える。「気晴らし」である。そういう意味で、僕はパスカルの重力の中にいる。僕は哲学をして「真理」を知れるとも思っていないし、僕に「体系の伽藍」を建立することができるとも思っていないし、ニーチェのような鋭いアフォリズムを書くことができるとも思っていない。そういう意味で、本当に「気晴らし」である。ネットの女に「なんで哲学をやってるんですか?」と聞かれたときに、上記の旨を言ったら、ブロックされたことがある。おそらく「真理を探究しているかっこいい哲学者」を求めていたんだろう。僕はそんなたいそうな人間ではない。凡夫である。
哲学から概念を学んで、このブログにアウトプットするのも楽しいけれど、それはカラオケに行ったりハロウィンで騒ぐのと大して変わらないと思う。哲学は、気晴らしである。僕は大哲学者ではない。僕の哲学なんぞない。
哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである。—————ブレーズ・パスカル
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