人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー今年と来年中に読むものハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
https://www.utayom.in/users/9552

哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー

今年と来年中に読むもの
ハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

人間の演劇的三重構造

 フロイトは超自我、自我、エスという風に人間を三重に捉えたけれど、心理学的にではなく、演劇的にとらえたらどうか。
「すべての虚栄心がつよい人間が、よい俳優であることに気づかされた。彼らは演じ、そして見物人がよろこんでくれることを望む———彼らの意志は余すところなくこの意志の下にある。
 彼らは舞台にあがってかりそめの自分を演ずる。わたしは彼らのそばにいて、その人生を見物することを望む。————憂鬱が癒されるから。—————ツァラトゥストラかく語りき」

 人間は全員俳優である。僕はよく、友達から相談を受けることが多いんだけれど、「いい人に思われたい」という思いが多分にある。「いい人に思われたい」という「中の人」が、「相談を真剣に聞く人」という「役柄」を演じる。まず「中の人」は、「煩悩」である。それが一番際立っているのはニーチェもいうように「虚栄心」という煩悩だろうけれど、「貪欲」、「瞋恚」「愚痴」という「心」は、すべて身体的な行為へうつされる。「腹が減った」→「ご飯を食べる」 「あいつが嫌い」→「悪口を言う」 
 「中の人」は「煩悩」である。煩悩という中の人が、「人間」を演じている。ただ僕は、「煩悩」にも「人間」にも解消されないものがあると思う。それは「意識」である。「批評」と言ってもいい。演劇に「批評」はかかせない。「意識」は何をするか?それは煩悩という中の人や役柄を「認識」する。それからあれこれ「言論」をするかどうかは、人それぞれだ。

 人間は、全員、俳優であり、観客である。それが第一の世界である。ここでは全てが表面的だ。全ての言葉が「本物」だ。ここに「嘘」はない。もし「嘘」があったとしても、それは劇場という「表面的な真実」の中で言われていることだから、ある意味、嘘は嘘という「本当」である。全てが真実で、すべてが嘘である。ここしか知らない人は、幸福な豚である。
 俳優に「中の人」がいる。それは煩悩である。ここでは全てが嘘である。「中の人」の「思惑」や「計算」と、「役柄」が一致することはない。「ここは俺が奢るよ」という「役柄」と、「だからヤらせてくれ」という「中の人」が一致することはない。全てが嘘である世界である。
 批評とは何か。それはこの「表面的で本当の世界」と「舞台裏の嘘の世界」を認識し、それにコメントをする行為だ。表面的で本当の世界を称賛することもできるし、嘘の世界の欺瞞を暴露することもできる。

 「中の人」の認識と「批評意識」の覚醒は同時である。全てが嘘になる。表面的な言葉に潜む影におびえる人間になる。

 批評家は、「対象」を求めて貪欲に動く。全ての対象を喰らった後、残るのは己の欺瞞だけになる。ここから「深い人間は自殺せざるを得ない」というテーゼが必然的に導かれる。

 この演劇的三重構造からは、「表面的な俳優」を殺す自殺、「中の人」を殺す作業である「聖道門」、「他者から欺瞞を赦される」という「他力門」が導かれる。