ハリウッドザコシショウだけがリアルである | 人生入門

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ハリウッドザコシショウだけがリアルである

 シェイクスピアに「キレイは汚い。汚いはきれい」というセリフがある。文脈は知らないからシェイクスピアの意図は知らないけど、僕もそう思う。

 人間は煩悩に目鼻がついている。「もしも誰か、憤慨するでもなくむしろ無邪気に、人間とは二つの欲望をもつ胴体と、一つの欲望をもつ頭で作られた存在だと主張するなら、人間はいつも飢えと性欲と名誉心の働きをみつけ、求め、見出そうとすること、それこそが人間の行動の唯一で本物の欲動だと主張するなら、要するに人間は———"邪悪"な存在ではなく———「卑しい」存在なのだと主張するなら、認識を愛する者であれば細部にいたるまで熱心に耳を傾けてしかるべきなのである。————ニーチェ」僕は、人間を形容するのに、理性のある動物でもなく、技術のある動物でもなく、遊ぶ動物でもなく、死を知る動物でもなく、「卑しい動物」であると定義したい。

 人間は、「卑しい」。これを仏教では煩悩があるというし、キリスト教では原罪があるという。自己中心的で、飯と女のことしか考えてなくて、自分を人によく見せることばかり考えている。なぜそんなことが言えるのか?それは僕がそうだからだ。僕は卑しい、さもしい、あさましい。それはお前の性格が悪いだけじゃないのか、と言われるかもしれないけれど、ネットで見ている限り、人間の「卑しさ」の匂いを嗅ぐのは簡単だと思う。

 僕は、ブランド品で身を固めるのは「ダサい」と思う。それは「卑しい」気持ちでしているから。外車に乗るのもダサい、ツイッターするのもダサい、哲学するのもダサい、文学読むのもダサい、詩を書くのもダサい。卑しい。

 ハリウッドザコシショウだけがリアルである。人間の「下品さ」を露骨に表現する。文学的な下品さではなく、もう本当にただの「下品」である。「いい年こいて何をやってるんだ」というところに、「ダサさ」はない。いい大人が裸で「うんちょ」「珍棒」とか言ってるところに「厭らしさ」がない。人間の下品さの暴露。もちろんザコシにも名誉欲や性欲はあるだろうが、「くだらない下品さ」という表現は、「格好がいい表現」に疲れた僕にとって、本当に癒しになる。詩人が「かっちょいい」表現をしているところで、ザコシは「尿道に溶けた鉄をとくとく注ぐ〜♪」と歌っている。僕は後者のほうが「人間的」な表現であると思う。

 まあ、一言でいえば、「お高くとまってんじゃねえよ!ちんげ!まんげ!」
 

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