人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー今年と来年中に読むものハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
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哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー

今年と来年中に読むもの
ハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

科学主義に抗して

 現代の科学主義は、いうまでもなくデカルトの物心二元論から端を発している。私はポストモダンという名称は間違いであり、勝手にモダンを終わらせてくれるなと常々思っている。デカルトの物心二元論が、現代脳科学の旗手であるアントニオ・R・ダマシオ とスピノザが共鳴しているように心身平行二元論なのか、ラ・メトリーのような極端な人間機械論、どっちに進むのかはおいといて、「物質」が基底に置かれているのは間違いない。マルクス的な史的唯物論はソ連の崩壊と共に崩壊を迎えたが、古くはデモクリトス、エピクロス(マルクスがエピクロスの論文を書いてたのは有名だが)まで遡る、物質主義が現代の空気を作っているのは確かである。
 ここではデカルトをモデルとするが、デカルトのいう物質とは「延長」のことである。長さがあるものが物質であり、それが生命を構成している。脳科学者の池谷裕二も、物質主義の立場において、自由意志はないだろうと発言しているし、同じく脳科学者であるデイヴィッド イーグルマンは、「自由意志はない、故に犯罪者に犯罪責任はない。」という啓蒙活動まで行っている。まさに科学の名において「責任という虚構」という概念が構築されている。
 私はこのデカルト主義に抗するための思想としては、現象学的実存主義が、一番有力であると思う。フッサールの生活世界論、ハイデガーの手元存在理論、サルトルの完全自由論。ここでは主著の存在と時間において、明確にデカルト批判をしているハイデガーの主張を見てみよう。
 ハイデガーは(おそらく師のフッサールの生活世界論を受ける形で)手元存在という概念を編み出した。例えば、ここにハンマーがあるとする。虚心坦懐にその場面を想像してほしい。その場合、ハンマーの化学的成分などに、気持ちが向くことがあるだろうか?そうではなく、そのハンマーの「くぎを打つ」という道具的意義に目が行くだろう。目が行くというのも正確ではない。すでにそのようにとらえる世界に「生きてしまっている」という表現のほうが正しい。ハイデガーは、そのような「生きられた世界」を手元存在と呼び、デカルトのような「手前存在」は、逆にその派生態だと看破する。
 サルトルも、そもそもデカルト的な「コギト」を認めていない。コギトは「対自的」な存在である。対自的である故に、「存在減圧」が起こり、「必然性」が崩壊する。ここに自由がある。
 科学の方法、現象学の方法、どちらが根源的かと言えば、現象学のほうに軍配があがる。少なくとも、フッサールやハイデガーはそう考えていた。フッサールは現象学が諸科学の基礎になるべきだと考えていたし、ハイデガーは諸科学は存在論が基礎づけるべきだと考えていた。
 ボン大学教授のマルクス・ガブリエルが言うように、デカルトから端を発する「ニューロン主義」や「過激ダーウィニズム」は、人間の尊厳を奪う可能性がある。私たちは、科学を謳歌する前に、もう一度20世紀の思想家たちの死闘を、振り返るべきではないか。