僕が哲学をしている理由
最近はもっぱら、ハイデガーとニーチェばかり読んでいる。二人とも死ぬほどビッグネームなので、やはり面白い。ハイデガーの実存論的分析は、大衆批判や宗教的覚醒が語られていて興味深いし、ニーチェからは、意地の悪い眼光を学ぶことができる。
今日、自分がなんで哲学してるんだろうと、ふと考えたら、多分「失望」したいからだろうなと思った。もちろん新しい概念を学ぶのは楽しいし、哲学書を読んで視野が広がるのも面白いけれど、哲学書を読み終わったあとの、「で、結局人間は死ぬけど、どうしてくれるの?」という失望が欲しいんだと思う。僕は、哲学にだけは少し期待しているふしがある。16歳の頃からずっと生きる意味を探して西洋哲学を学んで、結局見つからなくて仏教へ行ったけれど、やっぱり情があるんだと思う。
「哲学って、しょうもないな」っていつも思う。そう思うために読んでる。僕は失望フェチだから。
哲学とか文学って、結局娯楽だと思う。知性や感情を言葉で遊んでるに過ぎない。奥の奥、生命の本能のまるだしは、やっぱり宗教だなあとおもう。
今日、自分がなんで哲学してるんだろうと、ふと考えたら、多分「失望」したいからだろうなと思った。もちろん新しい概念を学ぶのは楽しいし、哲学書を読んで視野が広がるのも面白いけれど、哲学書を読み終わったあとの、「で、結局人間は死ぬけど、どうしてくれるの?」という失望が欲しいんだと思う。僕は、哲学にだけは少し期待しているふしがある。16歳の頃からずっと生きる意味を探して西洋哲学を学んで、結局見つからなくて仏教へ行ったけれど、やっぱり情があるんだと思う。
「哲学って、しょうもないな」っていつも思う。そう思うために読んでる。僕は失望フェチだから。
哲学とか文学って、結局娯楽だと思う。知性や感情を言葉で遊んでるに過ぎない。奥の奥、生命の本能のまるだしは、やっぱり宗教だなあとおもう。
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