人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー今年と来年中に読むものハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
https://www.utayom.in/users/9552

哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー

今年と来年中に読むもの
ハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

欲望 浄土教

 食欲をそのまま肯定している人は、「豚」と揶揄されることがある。性欲をそのまま肯定している人は、「猿」と揶揄されることがある。睡眠欲をそのまま肯定している人は、「牛」と揶揄されることがある。承認欲求、虚栄心、権力欲なども、動物界に見られるものなので「ボス猿」と言ってもいいだろう。
 これらのことから考えるに、「欲望」をそのまま肯定するのは、人間的ではない、と一般的に考えられている。人間は「畜生」以上の高級な存在だから、「欲望」を垂れ流すわけにはいかない。欲望を「垂れ流す」ことを、仏教では「有漏」という。言いえて妙だと思う。欲望が漏れている。悟った人は「無漏」という。
 
 人間は、畜生とは違うので、欲望をそのまま肯定して生きるべきではない。だから仏教という煩悩を滅する営みが生まれたし、キリスト教でも禁欲が説かれたりする。ニーチェみたいな欲望至上主義者は、己の欲望に忠実であれ、キリスト教の道徳に惑わされるな、と言うだろうが、僕の美学として、それは受け入れがたい。僕にとって、「欲望」は「汚い」。

 浄土教は、煩悩を滅するのではなく、それに自覚していく宗教である。ここには一つ否定が挟まっている。欲望を肯定するのではなく、それを「自覚」して、「私は浅ましい」と「反省」するのは、動物性の否定である。親鸞が、「信心を得た者は真の人間になる」みたいなことを言っていたが、そうだと思う。
 仏教的にはみんなバカ(無明)である。せめて、無明に気づこう。無明を反省せずに、突っ切るのは、動物だ。
あさまし あさまし
邪見 憍慢 悪才市
邪見 憍慢 悪才市
あさまし 邪見 憍慢 悪才市
人の物はなんぼでもほしい
とうても とうても ほしい ほしい
ほしいの角が生え
あさまし あさまし あさまし あさま し
邪見者とはこの才市がことよ
この才市には人が恐れております
それに人が知らんと思うております