物語 計画
アマゾンで面白い本ないかなあっていろいろ物色してたら、小川洋子って人の「生きるとは、自分の物語をつくること」という本のタイトルが目に入った。僕はそれは違うんじゃないかなあと思った。中身は読んでないけれど。
「〇〇県生まれ◇◇ ×××」というタイトルの本を作っても、それは「死んだらしまい」だ。本を燃やせば、何も残らない。灰しか残らない。
やっぱり、「他者」の「物語」のうちに、自分の生きる意味はあるのだと思う。そろそろ母親が死んで1年なのだけれど、昨日久々に鏡を見て、にっこり笑顔を作ったら、口元が母親そっくりだった。母親は「続いてる」んだなあ、と内臓レベルで感じた。「生きるとは 自分の物語をつくること」ではなく、「生きるとは 他者と物語を紡いでいくこと」だと思う。
では子供を作ったり、他人に影響を与えたり、何か表現を残していない人間は、「物語」を作っていないのだろうか。そうではないと思う。一即一切である。世界は、縁起で、できている。ブラジルにいる蝶の羽ばたきで、こっちで台風が起きるみたいな例えもあるけれど、些細な事でも、世界に「参加」している。
僕は「物語」という言葉があまり好きではない。なんだか「フィクション」という含意がありそうだから。僕は「計画」という言葉を使う。法蔵菩薩が、凡夫を全員浄土に連れていくという「計画」を建てた。その計画に、参加する。生きるとは 他者の計画に参加すること
「〇〇県生まれ◇◇ ×××」というタイトルの本を作っても、それは「死んだらしまい」だ。本を燃やせば、何も残らない。灰しか残らない。
やっぱり、「他者」の「物語」のうちに、自分の生きる意味はあるのだと思う。そろそろ母親が死んで1年なのだけれど、昨日久々に鏡を見て、にっこり笑顔を作ったら、口元が母親そっくりだった。母親は「続いてる」んだなあ、と内臓レベルで感じた。「生きるとは 自分の物語をつくること」ではなく、「生きるとは 他者と物語を紡いでいくこと」だと思う。
では子供を作ったり、他人に影響を与えたり、何か表現を残していない人間は、「物語」を作っていないのだろうか。そうではないと思う。一即一切である。世界は、縁起で、できている。ブラジルにいる蝶の羽ばたきで、こっちで台風が起きるみたいな例えもあるけれど、些細な事でも、世界に「参加」している。
僕は「物語」という言葉があまり好きではない。なんだか「フィクション」という含意がありそうだから。僕は「計画」という言葉を使う。法蔵菩薩が、凡夫を全員浄土に連れていくという「計画」を建てた。その計画に、参加する。生きるとは 他者の計画に参加すること
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