読書
僕が本格的に読書を始めたのは、16歳ごろだと思う。それまでもちょくちょく読んでいたけれど、毎日読むようになったのは、16歳で引きこもってからだ。
16歳の頃に読んで衝撃を受けたのは、「利己的な遺伝子」と「シーシュポスの神話」で、それらの本の影響は未だに色濃く残っている。その2つと戦うために生きている気がする。
それから、もう何冊読んだか分からない。2000〜3000冊ぐらいだと思う。16歳から20歳までは、ずっと哲学書を読んでいて、20歳から22歳までは、仏教書をずっと読み、今は哲学書と仏教書を両方読んでいる。
16歳の頃はとにかく「頭がよくなりたい」と思っていて、分かりもしないのに、ラカンだのデリダだのを読んでいた。今読んでもよく分からない。
何で本を読んでるんだろう。「楽しい」というのは間違いなくあるけれど、ずっと憑りつかれたように読んでいる。「真理」などは本の中にはないと分かってからも、読んでいる。最近は、もう読みたい本がなくなってきた。読めてない哲学者の本と、宗教書は読みたいけれど、興味のある本は、あらかた読んでしまった気がする。「読みたい本がない」というのが最近の大きい悩みである。
だから、文学書とか歴史書を読もうと思っている。読んでも何にもならないのは分かっているんだけれど。
16歳の頃に読んで衝撃を受けたのは、「利己的な遺伝子」と「シーシュポスの神話」で、それらの本の影響は未だに色濃く残っている。その2つと戦うために生きている気がする。
それから、もう何冊読んだか分からない。2000〜3000冊ぐらいだと思う。16歳から20歳までは、ずっと哲学書を読んでいて、20歳から22歳までは、仏教書をずっと読み、今は哲学書と仏教書を両方読んでいる。
16歳の頃はとにかく「頭がよくなりたい」と思っていて、分かりもしないのに、ラカンだのデリダだのを読んでいた。今読んでもよく分からない。
何で本を読んでるんだろう。「楽しい」というのは間違いなくあるけれど、ずっと憑りつかれたように読んでいる。「真理」などは本の中にはないと分かってからも、読んでいる。最近は、もう読みたい本がなくなってきた。読めてない哲学者の本と、宗教書は読みたいけれど、興味のある本は、あらかた読んでしまった気がする。「読みたい本がない」というのが最近の大きい悩みである。
だから、文学書とか歴史書を読もうと思っている。読んでも何にもならないのは分かっているんだけれど。
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