ニヒリズム | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

ニヒリズム

今朝、眼を覚ますなり第一に考えたこと。すなわち、人間がかつて得たもっとも深い直観は、すべては気晴らしという直観であるということ。あらゆる約束、あらゆる幻想にまさるもの、それは結局のところ、"それが何になる?"という平凡な、それでいて恐ろしいリフレインだ。この、"それが何になる?"は、この世の真理であり。端的に真理そのものだ。私は五十七年間生きてきたが、白状すれば、これにまさる哲学の啓示にあずかったことはない。————シオラン

 人から「思考の深化ができてるから賢い」と言われたんだけど、「虚無」というものに、深みなどあろうはずがない。「それが何になる?」の一言で全ては言い尽くされ、僕が注釈することは、何もない。
 ごはんを食べる。それが何になる?会社へ行く。それが何になる?受験に合格する。それが何になる?高校を中退して7年間引きこもる。それが何になる?セックスをする。それが何になる?生きる。それが何になる?ブログを書く。それが何になる?
 シオランと同じようなことを言いながらも、「ペシミズム」に陥らずに、カラっと生きている人の言葉を引こう。
「坐禅して何になるか」 この「何になるか」という問いが第一、中途半端じゃ。テレビが発明されて何になったか?おまえが生まれて何になった? 何になるものは一つもない。————澤木興道

 それが何になる?ナンニモナラヌ。シオランと澤木興道は、同じことを主張しながらも、生き方や人生観に雲泥の差がある。「ニヒリズム」は、一種の中立的な状態である。「ナンニモナラヌ」からは、否定も肯定も生まれない。ニヒリズムからは2人の子が生まれる。ペシミズム、オプティミズム。松塚豊茂が、自分はニヒリズムを通り抜けたブディストだと言っていたが、ニヒリズムを通過する道程で、差が生まれる。
 シオランと、澤木興道の、決定的な差はなんなのか、僕はまだ分からない。一方は、苦悩を賛美するキリスト教国に生まれ、もう一人は、苦悩から解脱しようという仏教国に生まれたのが、差の原因かもしれない。シオランも、解脱に憧れは在ったが、結局ぐずぐず世の中を嘆いているだけだった。
 OSHOという、20世紀に活躍した宗教家がいるんだけれど、そのOSHOが言うには、「悟り」を開くと、「答え」が分かるのではなく、「問い」が消滅するらしい。それが何になる?が消滅する。それは確かに救いだ。動物は生を生きていて、人間は疑問符を生きているが、この疑問符が完全に消滅すれば、人間も生を生きられるようになる。人間の反省性は修行により滅し、直接性に生きられるようになる。

 浄土教徒は、「生まれた。それが何になる?」の答えを多分持っている。それは「阿弥陀仏に出会えた」ことだろう。「それが何になる?」という一見素朴な問いには、「無限の智慧」で答えるしかないのだと思う。
「お前が生まれてなんになった?」
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」

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