恐怖 脆い 安心 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

恐怖 脆い 安心

名声を手に入れたり 人を支配したり 金もうけをするのも安心するためだ
結婚したり 友人をつくったりするのも安心するためだ
人のために役立つだとか 愛と平和のためにだとか すべて自分を安心させるためだ
安心を求める事こそ人間の目的だ—————DIO

 「自分」が「安心」するために生きる。芥川龍之介は、「将来へのぼんやりとした不安」のために自殺したが、将来という不安定なものに、安心ができなかった。
 「安心」するためにはどうすればいいか?この「安心」を脅かすのは、世界の「脆さ」だと思う。DIOは名声や人や金儲けを「安心」する手段として置いているが、それらは全てが「脆い」。世界は全て、砂で出来た城だ。「日常」という、砂でできた城が、最近、コロナウイルスという「無」の侵入で、ほろほろと崩壊している。世界は、脆い。ずっと生きているだろうと思っていた母親は47歳で死んでしまった。ずっと仲良しだと思ってた友達は、離れていった。人間も、物も、関係も、愛も、平和も、日常も、全てが砂上の楼閣で、僕を「安心」させてくれるものは、何もない。
 「自分」はどうだろうか?僕が「信仰をしている」というと、「私は自分しか信じていない」と言われることが多々あるけれど、自分は、「脆くない」存在だろうか。そんなことはない。明日、交通事故で、足がなくなるかもしれない。精神病になって、首を吊るかもしれない。

 安心するためには、相対的な脆いものではなく、「絶対的なもの」が必要になる。絶対的なものとはすなわち、無か全である。無をたよりにするのが、「自殺」であり、全をたよりにするのが、「信仰」である。DIOの言うように、もしも人間が「安心」を求めて生きるのであれば、この2つに行きつかざるを得ない。他は中途半端だ。
 ニーチェが「自殺を思うことは、優れた慰めの手段である。これによって人は、数々の辛い夜をどうにか堪え凌ぐことができる。」と言っていたが、無を瞑想するということは、それだけで「安心」する効果がある。けれども一番安心するのは、やはり実行したときだろう。安心も不安もない、絶対的な無の中に沈む。不安からの逃避としての自殺。
 もう一つは絶対者を信じるということだが、自殺をしないならば、こちらを選ぶことになる。「脆くない」絶対者をたよりにするという安心感。「安心を求めることこそ人間の目的」ならば、絶対者をたよりにするしかないだろう。

 最近、若者のカルチャーで、「あんしん」とか「大丈夫」という言葉をよく聞く。誰かから、安心を付与されたいのだと思う。それは恋人ではないし、アーティストでも自分でもない。イエスが原罪を背負って死んでくれたし、法蔵菩薩が永劫の修行をしてくれたし、きっと大丈夫。

 「大丈夫」「安心」になる仕掛けは、用意されている。

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