賢さとは? | 人生入門

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短歌も書いてます
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詩入門
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小説 結構頻繁に更新します
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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

賢さとは?

 賢さとは何ぞや。知性とはなんぞや。多分答えはないんだろうけど、個人的には、賢さというのは無知の知、だと思う。
 現代社会は、学問が細分化、専門家されて、17、18世紀のような「万能人」はいなくなった。万能人という概念はルネサンス辺りで称揚されてたらしいけれど、ライプニッツが最後の万能人だと言われている。ライプニッツを最後に、「学問の全てに精通している」人はいなくなった。だから「専門バカ」という言葉が誕生したんだろう。この前も哲学者が誤った確率論を言っていてツイッターで少し炎上していたが、こういうことはよくある。
 哲学に精通していても、馬鹿だ。科学に精通していても馬鹿で、経済学に精通していても馬鹿だ。現存する知識を全て蓄えることなど不可能なのだから、というよりも、どれだけ勉強していても、「知っていること」よりも、「知らないこと」のほうが膨大なのだから、どれだけ知識を蓄えても、知識だけ持っている人は馬鹿だ。

 「賢さ」とは、「知識」ではなくて、「態度」であると思う。無知の知というのは、態度だ。無知の知から派生するのが、「対話」や「信仰」であり、それらは「寛容」という態度へ向かっていく。反対に、「傲慢」は馬鹿だ。知らないことのほうが多い「知識」を盾にして、「傲慢」という態度をとるのは愚の極みだ。
 だから、歴史上で一番賢い人は?と聞かれれば、ソクラテスやイエス、法然や親鸞であると答える。ソクラテスは、虚心坦懐に、誰とでも対話をした。法然や親鸞の「賢さ」については、清沢満之のこの文章を読めばよく分かる。
私は何が善だやら何が惡だやら、何が眞理だやら何が非眞理だやら、何が幸福だやら何が不幸だやら、何も知り分る能力のない私、隨つて善だの惡だの、眞理だの非眞理だの、幸福だの不幸だのと云ふことのある世界には、左へも右へも前へも後へもどちらへも身動き一寸することを得ぬ私、此私をして虚心平氣に此世界に生死することを得しむる能力の根本本體が、即ち私の信ずる如來である。—————我が信念

 無知の知や、己の愚を自覚するのは、畢竟、愛に繋がるのだと思う。ソクラテスは、知への愛へ、イエスは神への愛、隣人への愛へ…。
 キリスト教のGOD、浄土教の阿弥陀仏などは、「全知全能・仏智」と「アガペー・慈悲」を両立させている。賢さとは、意外と、「愛」なのではないか?



 ここからは完全に僕の性癖なのだが、僕が個人的にカッコイイと思うのは、人よりも「相対的」に「知識」があるのに、それをおくびにも出さない人だ。一言でいえば、「能ある鷹は爪を隠す」ような人のことだ。博覧強記の人が、馬鹿の仮面を被っていると、カッコイイ。僕もこういうカッコイイ人になりたいが、知識もないし、見栄っ張りなので、来世に期待したい。
 

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