環境と遺伝子が悪い | 人生入門

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哲学書読書計画
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丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
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環境と遺伝子が悪い

「遺伝子と環境が悪い」というアカウント名のツイッターアカウントがあった。そうだね…、となった。
 学習院大学の謝辞で、「皆さんありがとうございましたはもう古い、私は自分で頑張った、自分ありがとう」という内容を言ってる女の子がいた。そうだね…、となった。

 ロシュフコーかニーチェが忘れたが、「自由意志」というのは、その概念を用いる人の立場によって、存在するか存在しないかが決まる、ということを言っていた。例えば現状がめちゃくちゃ不幸で、この惨状を誰かのせいにしたい人は「遺伝子と環境が悪い」というアカウントを作るし、自分がめちゃくちゃ成功している人は全部自分の努力だと思いたいので「自分ありがとう」という。自己責任論がいま凄い叩かれてるのは、若者がみな不幸の意識を持っているからだと思う。将来どうなるかは分からないが、現状、実際哲学的に「自由意志」があるかどうかは分かっていない状況の中で、自分の不幸を他者のせいにしたい人は遺伝子と環境論に走るし、自分が成功してると思ってる人は努力論に走るのは分かる。

 幸福/不幸 決定論/自由論 で4つの組を作る。

 @幸福:決定論 A不幸:決定論 B幸福:自由論 C不幸:自由論

 Aが「遺伝子と環境が悪い」アカウントを作る人で、Bが「自分ありがとう」という人だ。前者は卑屈、怨嗟という悪徳、後者は傲慢という悪徳に結び付けられる。僕はどちらもあまりよくないと思う。Cの場合はどうか?この場合終わりのない自責に苛まれる。「この不幸は自分のせい」と背負える人は格好いいし、そういう人はBに移行するだろうけれど(貧乏一家から社長になった人など)、そういう人は例外だし、実際は全部自分が悪いと思い詰めてうつ病になるのが落ちだ。
 僕は@が一番いいと思う。遺伝子と環境を、「他力」と言ってもいいだろう。他力のおかげでここまでこれた。「自分ありがとう」ではなくて、「周りありがとう」。

 最終的には、幸福:決定論が、一番健全な姿であると思う。「他力」のおかげで、私はこんなにも幸せである。ありがとう他力。

 不幸な人はどうすればいいのか?決定論に走ると、社会への憎悪、怨嗟が募った化け物になる。自由論へ走ると、自分を食いつぶすモンスターになる。僕は、「無能」には「メソッド」が必要だとたびたび言っているが、やはり、憎悪や自責と言った負のエネルギーは、メソッドで消化するしかない気がする。その方法はと言えば、瞑想や、認知療法といった、科学的に認知の歪みを治す方法になると思う。
 しかし、もう一つとっておきの方法がある。この「他力ありがとう」を、裏技で出現させるのが「信仰」である。全部神様の恵みもの、絶対他力。どんな惨めな状況であっても、「こんな私に勿体ないなあ」と言わせるバグ技が、宗教というアヘンである。

 天地も施し、空気も施し、水も施し、植物も施し、動物も施し、人も施す。施し合い。われわれはこの布施し合う中にのみ、生きておる。ありがたいと思うても思わいでも、そうなのである。————————沢木興道

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