孤独
大乗経典の無量寿経には、こういう文句がある。独生独死独去独来。独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる。まごうことなき真理であり、仏語というに相応しいと思う。一人で生まれて、一人で死んで行く。
「身体」という絶対に超えられない壁がある。「意識」という絶対に超えられない壁がある。他者の歯の痛みは分からない。他人の病気の肩代わりをすることはできない。
今日は、誰とも接することなく一日が終わった。寝てる間におばさんがご飯を買ってきてくれて、夕飯は父親の友達の弁当屋が配達しにきてくれたけど顔は合わせず、父親は出張、弟はどこかに泊まり。今日触れ合ったのは飼い猫ぐらいだ。僕は一人が好きだけれど、好きではない。猛烈に、寂しい。
10代の頃に読んだ哲学書に、「合一」とか「脱自」という表現があった。妙に惹かれるものがあった。一者との合一。オーガズムにおける脱自。自分から抜け出て、神と一つになる。生まれてしまったものが、孤独を癒すには、これしかないんじゃないか。
家族がいても、恋人がいても、絶対的な孤独というのは避けられない。誤魔化しているだけだ。家族と合一することはできないし、セックスは体液の交換でしかない。ああ、独生独死独去独来。どくしょうどくしどっこどくらい。悲しいぐらいに独生独死独去独来だ。独生独死独去独来と一人で呟いてると、涙が出てくる。嫌になるぐらい真理だ。
身体がある限り、孤独は避けられない。癒されない。だったら死ぬしかない。千日回峰行という、死ぬほど過酷な行をした天台宗のお坊さんが、「私は死んだら比叡山の一部になる」と晴れやかに言っていたらしい。このお坊さんは、死んだら山の木々や小鳥と、意思疎通をして、寂しくない毎日を送るんだろうなと思う。死は救いなのかもしれない。
どくしょうどくしどっこどくらい。口に出して言ってみてほしい。
「身体」という絶対に超えられない壁がある。「意識」という絶対に超えられない壁がある。他者の歯の痛みは分からない。他人の病気の肩代わりをすることはできない。
今日は、誰とも接することなく一日が終わった。寝てる間におばさんがご飯を買ってきてくれて、夕飯は父親の友達の弁当屋が配達しにきてくれたけど顔は合わせず、父親は出張、弟はどこかに泊まり。今日触れ合ったのは飼い猫ぐらいだ。僕は一人が好きだけれど、好きではない。猛烈に、寂しい。
10代の頃に読んだ哲学書に、「合一」とか「脱自」という表現があった。妙に惹かれるものがあった。一者との合一。オーガズムにおける脱自。自分から抜け出て、神と一つになる。生まれてしまったものが、孤独を癒すには、これしかないんじゃないか。
家族がいても、恋人がいても、絶対的な孤独というのは避けられない。誤魔化しているだけだ。家族と合一することはできないし、セックスは体液の交換でしかない。ああ、独生独死独去独来。どくしょうどくしどっこどくらい。悲しいぐらいに独生独死独去独来だ。独生独死独去独来と一人で呟いてると、涙が出てくる。嫌になるぐらい真理だ。
身体がある限り、孤独は避けられない。癒されない。だったら死ぬしかない。千日回峰行という、死ぬほど過酷な行をした天台宗のお坊さんが、「私は死んだら比叡山の一部になる」と晴れやかに言っていたらしい。このお坊さんは、死んだら山の木々や小鳥と、意思疎通をして、寂しくない毎日を送るんだろうなと思う。死は救いなのかもしれない。
どくしょうどくしどっこどくらい。口に出して言ってみてほしい。
コメントを書く...
Comments