現実 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

現実

 家に引きこもって、哲学書や宗教書を読んでいると、「現実逃避」と言われることがある。ここで問題になってくるのは、「現実とは何か?」という問題である。僕の考える現実とは、徹頭徹尾「明日死ぬ存在」「無意味な生を送る存在」という意味である。釈迦はもう少し広げて生老病死と言ったが、似たようなものだ。僕の意識をもう少し厳密に言うと「今死んでも60年後に死んでも宇宙には全く関係がない」という現実である。厳然たる現実がある。地球は太陽に飲み込まれて生物はみんな死ぬ。これらが「現実」だとしたら、これから逃げている人のほうが「現実逃避」していることになる。
 僕に「現実逃避をするな」と言ってくる人の現実は、おそらく「苦しい人生を生きる」ことであろう。「苦しくても働け」ということだろう。最近障碍者センターの人が、家に来て、30分ぐらい話すことがあるのだが、その存在がここでいう「現実」の象徴になっている。僕は、この「現実」がめちゃくちゃ怖い。働くのも怖いし、自閉症だから人が怖いし、外に出たくない。

 パスカルは家に数時間じっとしていれば人生の虚しさが分かると言った。それが第一の現実。そして、人間は虚しさに耐えられずに「気晴らし」をすると言った。それが第二の現実。と言っていいかもしれない。

 「現実」は一つしかない。真実はいつも一つ!だ。前に相談員の人に「父親が死んだらどうするの?」と聞かれたときに「死ぬと思います。信仰があるのでいいところに行けると思います」と答えた。二つの「現実」がぶつかった瞬間だと思う。
 僕も、普通に働いて家族を作って、という現実があるのは分かる。でも厳然たる事実として、今死んでも60年後に死んでも全く等価という事実がある。僕は後者の「現実」をひっくり返すために7年間勉強をしまくっていて、それは何も間違ったことではないと思っている。

 「今死んでも60年後に死んでも全く等価」という現実から目を背けない生き方。「今死んでも60年後に死んでも全く等価」という現実から目をそらして、社会的役割の中で「自己」を見つけたつもりになっている生き方。これを調和させるには、「今死んでも60年後に死んでも全く等価」という「不幸な現実」を超えた見方を呈示して、それを社会に広めることだと思う。だからまずは、死という冷徹な現実を打ち砕かなければならない。
 僕はどちらの「現実」も怖い。死にたくない。人に会いたくない。

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