無常 不滅 表現
表現をする人は「生きた証」を現実に叩きつけたいのだと思う。僕はそれは暴力的な営みだと思うし、儚い営みだとも思う。「叩きつける」という言葉が一番しっくりくる。刻み付ける、叩きつける、ぶっ叩く。いや、主語が大きすぎたかもしれない。けれども少なくとも僕の場合はそうだ。僕が詩を書くときは「死にたくない」「褒められたい」の2つの気持ちで、世界にぶちまける思いで書いている。イライラしているときに詩を書く。いい短歌が書けたときに妙に物悲しくなるのは、「不滅への渇望」と「現実」が齟齬をきたしているからだろう。「なんでこんなことしてるんだろう、どうせ誰も見ていないし、みんな死ぬのに」
テレビで昭和の名曲イントロクイズをしていて、どれだけ持て囃された曲でも、時代が変わればイントロクイズになるんだなと思って悲しくなった。表現をしている人は、虚しくならないんだろうか。
僕の考える表現は、永遠への志向、の挫折、故の虚しさ、だけれど、他の人は「虚しさ」を紛らわせるために「気晴らし」で表現をしているのかもしれない。
テレビで昭和の名曲イントロクイズをしていて、どれだけ持て囃された曲でも、時代が変わればイントロクイズになるんだなと思って悲しくなった。表現をしている人は、虚しくならないんだろうか。
僕の考える表現は、永遠への志向、の挫折、故の虚しさ、だけれど、他の人は「虚しさ」を紛らわせるために「気晴らし」で表現をしているのかもしれない。

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